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サイト移行のお知らせ

今後の更新は以下のサイトで行います。 https://scrapbox.io/archives-ilf-and-petrov/ *このブログの過去記事もすべて移す予定です。

連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』コメンタリー

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▷『コロコラムスク市の尋常ならざる話』の各エピソードの補足や説明。 ▷本文へは各エピソードのタイトルにリンクあり。 _______ 1. 青い悪魔 …「やつを知ってるぞ」誰かの若い声がした。「あれは クリャトヴィア 国の大使だよ。… クリャトビア ( Клятвия ):架空の国名。ラトビアがモデルだという説がある。 _______ …モスクワへの出稼ぎには、あらゆる者が手をのばした。………とりわけこの事業に夢中になったのは、 青い上衣を着た 辻馬車の御者らだった。… 青い上衣を着た ( в синих жупанах ):ロシアには「財布は空なのにカフタンは青い」ということわざがあり「見栄っ張り」を意味する。色物のコートは上等品の比喩 (戸辺又方『ロシアの言語と文化』1996年、ナウカ、95ページ) 。青い上衣を着た=服にお金をかける伊達者という含意だろうか(服にお金がかかるため出稼ぎに夢中になる)。 _______ …最初の厳寒が襲うころ、コロコラムスクからモスクワへ向けて、 偽協同組合「個人労働」議長のムッシュ・ホントーノフ が、足取り重く出発した。… 偽協同組合  ( лжеартель ):実際にこの時代のソヴィエトには、偽の協同組合というものがあり、それをかくれみのにして私腹を肥やす商人がいたらしい。「ネップ時代にはあらゆるにせの協同組合が無数にあった。それらが、繁盛していた商店を駆逐していった」(チュコフスキー)。イリフ&ペトロフは再三こうした「偽の⚪︎⚪︎」の存在を指摘していて、偽協同組合については後の作品『黄金の仔牛』(1931年)第5章でも再度言及している。 (参考: Щеглов. Романы Ильфа и Петрова. Спутник читателя. СПб. 2009. C393 ) ムッシュ・ホントーノフ ( мосье Подлинник ):原文を音読みするとムッシュ・ポードリンニク。「ポードリンニク」とは普通名詞でもあり、「原本、原画、オリジナル」を意味する。つまり「偽」の協同組合をやっている男の名前が「本物」を意味するところに皮肉があり、おかしさがある。音訳のムッシュ・ポードリンニクではそのニュアンスが伝わらないので、「嘘」と対になる「本当」から発想してムッシュ・ホントーノフとした。 2. 南米からの客 …そ...

連作短編『コロコラムスク』の文学フリマ出品

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本ブログで公開中の コロコラムスクを舞台とした連作短編(全11編) を、 2025年1月19日の京都文学フリマ に出品します。 京都文学フリマ (入場無料) 日時|2025年1月19日(日)11時〜16時  場所|みやこめっせ1階、第2展示場 ブース|け-39(下鴨ロンドの本棚) https://bunfree.net/event/kyoto09/ 出品物は、 作品発表時の雑誌レイアウトを模した形 で印刷しました。 このあたりの詳しいいきさつは、別の場所(note)に書いています。 文フリ初心者の奮闘記

連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』(1929)航海士そして大工 全訳

▷『コロコラムスク市の尋常ならざる話』と題されたイリフ&ペトロフによる連作短編の第11話(最終話)。全訳。 ▷ コメンタリーはこちら 。 ▷2025.1.13 改訳更新。 _______  前代未聞の危機が、生きものすべてを凍えさせる逆旋風のごとく巻き起こって、コロコラムスクを通過した。数少ない商店や定期市の露店から、革がすっかり姿を消してしまったのだ。クロム革が消えたかと思うとキップ革も消え、靴底の在庫すら底をついてしまった。  まる一週間ものあいだ、コロコラムスクの人びとは不審がっていた。不幸のとどめとばかり、市場から防水布が姿を消したときには、彼らはすっかり気落ちしてしまった。  幸いなことに、危機の原因はまもなく判明した。判明したのはとある祝日のことで、その日は「脱・握手」協会の会長である市民ドロイ=ヴィシュネヴェツキイに敬意を表し、彼が握手の根絶の仕事に従事して五年になるのを祝う日であった。  式典は、町でいちばんの建物である軍用朗読・歌唱教室のホールでひらかれた。町の組織代表者らはレッドカーペットを歩いて次々ステージへと上がり、挨拶の言葉を述べ、祝福を受ける者に贈りものを手渡していった。  「脱・握手」協会の六人の同僚たちは、ベルトと持ち手のついた、燃えるように赤いキップ革の書類カバンを六つ、愛するボスに捧げた。  友好団体「脱・文盲」協会からは、会長バリュストラードニコフが代表して、興奮ぎみの主賓に対し、ワニ柄の型押しをしたクロム革の書類カバンを十二個贈った。  主賓はお辞儀をしては礼を述べていった。マンドリンのオーケストラが、ひっきりなしにファンファーレを演奏していた。  警察署長のオトメジューエフは、勇ましいガラガラ声でてきぱき挨拶すると、この英雄に、剣とリボンをあしらった防水布製の書類カバンを四つ手渡した。  消防司令官、炎のメラーエフも面目を失わずに済んだ。本当のところ、彼は運が悪かった。初動が遅く、式典のことを思い出したときには革はすでになかった。ところが、メラーエフはこの試練に打ち勝ってみせた。彼は大きなホースを切り分け、類まれなるゴム製の書類カバンを作りあげたのだ。数ある書類カバンの中で最良のものだった。目下の仕事と大組織の記録をまるごと収められるほどに、そのカバンはよく伸びた。  ドロイ=ヴィシュネヴェツキイは涙を流していた。  町の商...

連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』(1929)第二の青春 全訳

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▷『コロコラムスク市の尋常ならざる話』と題されたイリフ&ペトロフによる連作短編の第10話。全訳。 ▷〔〕は訳注。 コメンタリーはこちら 。 ▷2025.1.13 改訳更新。 _______  コロコラムスクにミヤマガラス 〔春告げ鳥〕 が飛んできた。  それは晴れて凍てついた春の日のことで、鳥たちは町の上を飛び回り、けたたましい鳴き声で町の権力者たちを寿いでいた。コロコラムスクの小鳥たちは、市民同様、権力の持ち主を心から愛していた。  昼には早々に、スタロレジームヌィ並木道の斜面を雪解け水が音を立てて流れ、雪の下から去年の草が頭をのぞかせていた。  しかし、町に熱狂的な気分を呼び起こしたのは、春の風でも、ミヤマガラスの鳴き声でも、ズブルヤ河がはやばや解けだそうとし始めたことでもなかった。町を熱狂させ、揺るがしたのは、ニキータ・プソフがもたらした知らせであった。 「温泉だ! 温泉だ!」ニキータは町の狂人たちを足でなぎ倒しながら通りを駆けていき、道々で窓を叩いては同胞たちの部屋へ駆け込んで大声でこう言ってまわった。「自分の目で見てみな!」  次々に質問が出されたが、それにはいっさい答えず、ニキータ・プソフは手をぶんぶん振り回して遠くへ駆け出していった。人は彼を追って走りだし、その群れはどんどん大きくなった。  もしも白いガウンを着たグロム医師が家から飛び出してきて行く手をさえぎらなかったら、好奇心に駆られた市民たちは、逆上したニキータを追って、まだどれほど駆けていったか知れなかった。 「ちょちょちょ!」グロム医師は言った。  そうして全員が停止した。ニキータは支離滅裂に「誓ってもいい」などと口走り、両手で自分の胸を叩いていた。 「うむ」医師は厳しく問いただした。「『教えておくれ、パレスチナの小枝よ』。何がどうしたんだね?」  グロム医師は詩の引用で飾り立てて話すのが好きであった 〔「教えておくれ、パレスチナの小枝よ」はレールモントフの詩の引用〕 。 「猟奇小路に温泉が湧いた」確信をこめてニキータが叫んだ。「自分の目で見てみな!」  そうして、驚きの叫びにたびたび遮られながらもニキータ・プソフがみなに言うには、酔っ払って猟奇小路にさまよいこんだ彼が地べたに寝ていたところ、何か熱いものが触れる感覚に目を覚ましたという。地面からまっすぐ吹き出してくるうす濁りの湯の中に自分が横...

連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』(1929)犬ぞり 全訳

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▷『コロコラムスク市の尋常ならざる話』と題されたイリフ&ペトロフによる連作短編の第9話。全訳。 ▷〔〕は訳注。 コメンタリーはこちら 。 ▷2025.1.12 改訳更新。 _______  たいてい昼の十二時が近づくと、コロコラムスクの紳士淑女は表に出て、凍てつく新鮮な空気を吸おうとする。とりたててすることもないので、市民たちは毎日外へ出て新鮮な空気をじっくり味わうことを日課としていた。  三月のはじめの金曜日、とりわけ家柄の良い人たちがメストコモフスカヤ大通りを行儀よくそぞろ歩いているところへ、チレンスカヤ広場から鈴の音が聞こえ、それから驚くような乗り物が大通りに飛び出してきた。  十二頭の犬に引かせたサモエド人の長いソリに、トナカイの毛皮外套にくるまって、小さく痩せた顔の青年がゆったりと乗っていたのである。  その犬ぞり一行の格好は、コロコラムスクの穏やかな気候にはあまりに珍奇に見え、自然な好奇心を抱いた市民たちは舗道に人垣をつくった。  見知らぬ旅人は、汗にまみれて走っている三列目左側の副え犬に何度もムチをあて、鋭い声でこう叫びつつ、通りを速いスピードで駆けていった。 「シャーリク、曲がってる! そうじゃない、シャーリク!」  他の犬たちも小言をくらっていた。 「おまえだぞ、ボービク! …ジューチカ、そうじゃない! …気をつけろッ!」  コロコラムスクの人びとは、神が何者を遣わしたのかわからないながらも、念のために「ウラー 〔万歳〕 !」と叫んだのであった。  この見知らぬ人物は、シベリア風の長い耳がついた毛皮の帽子をとって挨拶がわりに振ってみせ、それからビアホール「過去の声」のそばで、統制のとれていない犬たちを停めた。  五分もすると、犬ぞりを木につなぎ終え、旅人がビアホールに入ってきた。この酒場の壁には「テーブルクロスで手を拭かないで」という注意書きがかかっていたが、どのテーブルにもテーブルクロスなどかかっていなかった。 「何をお持ちしましょうか?」興奮のあまり声を震わせて店主がたずねた。 「沈黙を!」見知らぬ人物は大声で言った。そしてすぐさまビールを六本注文した。  これで、ビアホールにつめかけていたコロコラムスクの人には、自分たちが非凡な人物を相手にしていることがはっきりした。  そこで、大勢の中から行政の代表者が進みでて、声に献身的な様子をにじませつ...

連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』(1929)〈赤いオーバーシューズ、ガローシニク〉号 全訳

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▷『コロコラムスク市生活の尋常ならざる話』と題されたイリフ&ペトロフによる連作短編の第8話。全訳。 ▷ 第1話〈青い悪魔〉 の続編ともいえる作品。 ▷〔〕は訳注。 コメンタリーはこちら 。 ▷2025.1.11 改訳更新。 _______  凍てつく二月の未明、栄誉あるコロコラムスク市の住民は、不規則な射撃音に目を覚ました。  住民たちはワーレンキ 〔フェルトブーツ〕 をつっかけ、下着の上に何かをはおっただけで、一斉に表へ出た。射撃音に続いて今しがた鳴り出した警鐘の音が、不安をかきたてた。十字-抜擢教会が鳴らすけたたましい鐘の音を、キリスト顕現聖堂の鐘楼の低音が力強く支えていた。  思いがけない不安なことが起きるといつもそうであるように、市民はどちらの方角へ逃げるべきかを熟知していた。そうしてあっという間に、救世主-協同組合広場が人で埋め尽くされた。  当惑しきった無名商人の墓の前に、四人の徒歩警官と、長官のオトメジューエフ同志からなるコロコラムスク警察の全職員が立っていた。警官たちの銃はまだ煙を立てていた。オトメジューエフは拳銃を手に持ち、その銃口を乳白色の空に向けていた。 「誰に発砲してるんです?」ニキータ・プソフが人ごみに割り込みながら叫んだ。  ニキータは少し遅れてやってきたのだが、彼は、警備隊が着るような厚手の毛皮外套をひっかけてはいたものの、それがはだけ、泡立つビールジョッキを持った裸の女性のタトゥーが青々と彫りこまれた毛むくじゃらの胸がのぞいていて、誰に発砲しているかわからなければ、今にも心臓発作をおこしてしまいかねなかった。  しかし、オトメジューエフ長官は答えなかった。頭を上げ、低空の雪雲を鋭く見つめていた。  しだいに、群衆も広場の上空を飛行している気球に気がつきはじめた。それは、ネットに入った子供用のボールに似ていた。 「敵の飛行体に向けて…」オトメジューエフがはりさけるような声で号令をかけた。「隊列、射撃ッ!」  隊列は、目を細めて発砲した。 「着弾せず!」ニキータ・プソフは悔しそうに叫んだ。 「ふん、どっちみち、どこへも逃げていきゃしない! 楽勝さ!」  そうして彼は群衆たちと意見を交わしはじめた。 「飛行してる奴らに見覚えがあるだろう! あれはクリャトヴィア 〔『青い悪魔』参照〕 が、おれたちのコロコラムスクを襲撃しようとやって来たんだ。...

連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』(1929)黄金の詰め物 全訳

▷『コロコラムスク市の尋常ならざる話』と題されたイリフ&ペトロフによる連作短編の第7話。全訳。 ▷ 第1話〈青い悪魔〉はこちら 。 ▷〔〕は訳注。 コメンタリーはこちら 。 ▷2025.1.10 改訳更新。 _______  市民エフトゥシェフスキイが新しく飼いはじめためんどりは、まる一週間、卵を産まなかった。ところが水曜の午後八時四十分になって、そのめんどりが金の卵を産んだ。  まったくもって不自然なこのできごとは、次のようにして起きた。  その日、エフトゥシェフスキイはいつものように朝から忙しかった。縦笛を商ったり、ささやかな菜園を耕したり、偽協同組合「個人労働」の議長ムッシュ・ホントーノフの注文で用意したネズミ取りを仕掛けたり解いたりしていた。  昼食をとったあと、この年老いた笛売り男は隣の庭に忍びこみ、煉瓦用の藁肥やしをとろうとして見つかった。棒切れを投げつけられ、それが命中した。とっぷり日が暮れるまで、エフトゥシェフスキイは垣根のところに立って隣人に小言を言いつづけた。  一日がすっかり無駄になってしまった。生きるのが不快なことに思われた。この日はだれも縦笛を買ってくれなかったし、燃料の補給は間に合わず、めんどりも卵を産んでいなかった。  そういう悲しいもの思いにふけっているエフトゥシェフスキイを見つけたのが、ムッシュ・ホントーノフとマダム・ホントーノフだった。夫妻の用事はネズミ取りのことであった。月の出ない晩にわざわざやってきたわけは、エフトゥシェフスキイにやらせているネズミ取りの用意を、表向きは自分たちがしていることになっているからだった。 「知っておいてほしいのですが、ムッシュ・エフトゥシェフスキイ」と偽協同組合の議長は言った。「あなたのネズミ取りには大きな欠点があります」 「欠点だしマイナスです!」マダム・ホントーノフが咎めるように釘を刺した。 「そうです!」と偽議長が続ける。「いささか動作しすぎますな。お客さんがたは怒っています。ビビンさんのお宅でうっかりひっかけてしまったところ、そのネズミ取りは長いこと部屋を跳ねまわったあげく、窓ガラスを叩き割って、井戸へ落ちました」 「落ちて、沈みました」と議長夫人が付け足した。  エフトゥシェフスキイの気持ちはよりいっそうふさいだ。  ふいに、めんどりがうろついていた部屋の隅で、くぐもった音が響き、バタバタ...

連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』(1929)純血のプロレタリア 全訳

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▷『コロコラムスク市の尋常ならざる話』と題されたイリフ&ペトロフによる連作短編の第6話。全訳。 ▷ 第1話〈青い悪魔〉はこちら 。 ▷〔〕は訳注。 コメンタリーはこちら 。 ▷2025.1.7 改訳更新。 _______  コロコラムスクの人に、彼らの栄誉ある町にはプロレタリアがいないなどと言うと、冗談ぬきで腹を立てたものである。 「いないだって?」コロコラムスクの人たちはわめき立てる。「フズノーソフがいるだろうが! 我らがドシフェイ・フズノーソフが! まったく、どこぞの商売人なんかとは違うぞ。やつは純血のプロレタリアだ」  町じゅうがドシフェイ・フズノーソフを誇りに思っていたが、ただ一人、ドシフェイ・フズノーソフ本人はそう思っていなかった。商売が不調だったのだ。  フズノーソフは街頭の靴直し屋であった。ズブルヤ河の対岸地区の栓抜き通りに住み、市の立つ日にはプリヴォーズニィ市場で商売をしていた。  市の立つ日が少なかったせいかもしれないし、コロコラムスクの人びとがあまり動こうとせず、靴をすり減らすことがほとんどなかったせいかもしれないが、フズノーソフの実入りは乏しく、ひどく困窮していた。 「プロレタリアだよ、おれは。たしかにプロレタリアだ」と彼は陰気に言うのだった。「ありがたいことに混じりっけなしだ。どこぞの混血とは違う。だけどそれが何になる? 酔っぱらうこともできやしない!」  そういう気分のある日、フズノーソフはムッシュ・ホントーノフの部屋にふらりと入りこんだ。彼はただ、胸のうちを聞いてもらいたかったのだ。この町では、そういうことをするなら、分別のある偽協同組合の議長に話すのがいちばんだ、というのが、みなの一致するところであった。  ホントーノフは、胸のところにクリンゲル 〔8の字パン〕 が刺繍されたゲイシャ風ルバーシカ 〔シャツ〕 を着て、食事のテーブルについていた。彼の前にはペイザンヌ 〔田舎風〕 スープが湯気を立て、スープの中にはぶ厚い肉の塊が悠然と浮かんでいた。ずんぐりしたカラフェ 〔水差し〕 に入ったウォッカが、錫と氷の色を反射して光っていた。 「こちらに招待しちゃもらえませんか、同志ホントーノフ」部屋に入りながら、街頭の靴直し屋は言った。「なんたって、おれはどこぞの混血でも雑種でもありません」 「もちろんですよ!」と偽議長は答えた。「お座りください、...

連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』(1929)おそろしい夢 全訳

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▷『コロコラムスク市の尋常ならざる話』と題されたイリフ&ペトロフによる連作短編の第5話。全訳。 ▷ 第1話〈青い悪魔〉はこちら 。 ▷〔〕は訳注。 コメンタリーはこちら 。 ▷2025.1.6 改訳更新。 _______  元はちょっとした小金持ちで、今は冴えないコロコラムスク市民のヨシフ・イワーノヴィチ・ザヴィトコフが、町のもっとも興味深い歴史の一ページを自らが書くことになろうとは、本人はおろか、彼を知る多くの人にも思いがけないことだった。  といっても、ザヴィトコフはけっして要領のいいタイプではなかった。しかしコロコラムスクの人はみなそんなものだ。最もおとなしいコロコラムスクの人でさえ、ある瞬間には向こう見ずで突拍子もない振る舞いをしでかして、コロコラムスクの名を高めることに一役買ってしまいかねないところがあった。  ザヴィトコフの生活は終始なでつけたように平坦だった。彼の仕事は、誰もが驚く淀んだ色の靴墨「アフリカ」を煮ることで、ありあまる時間をもてあますと、ビアホール「過去の声」で時を過ごした。  靴墨の匂いが有害な作用をもたらしたのかもしれないし、黒ビールが彼の意識を曇らせたのかもしれないが、いずれにせよ、ザヴィトコフは、日曜の深夜から月曜にかけてある夢を見た。そしてそれ以降、彼は完全な混乱状態に陥ってしまった。  彼の夢というのは、町の全員一致通りと満場一致通りの交わるところで、革のジャケットに革のパンツ、革の帽子といういでたちの、三人の共産党員に出くわしたというものだった。 「もちろん、逃げだしたかったさ」とザヴィトコフは隣人たちに語って聞かせた。「ところが奴ら、道の真ん中に陣取って、おれに深々とお辞儀をするもんだから」 「党員がかい?」隣人たちは大袈裟な声を出した。 「党員がだよ! 直立してお辞儀するんだ。直立してお辞儀だよ」 「いいか、ザヴィトコフ」と隣人たちは言った。「そういうことがあったからっておまえ、特別扱いはされねえぞ」 「おれが夢に見ただけのことじゃないか!」ザヴィトコフは笑って反論した。 「夢だからって何だ。そういうことはあるもんだ… いいか、ザヴィトコフ、なにも起こらないといいがな!」  そうして、隣人たちは靴墨職人から用心深く距離を取った。  ザヴィトコフは、靴墨「アフリカ」を煮るのもやめて、まる一日町をほっつき歩き、夢で見たことにつ...

連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』(1929)町とその周辺 全訳

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▷『コロコラムスク市の尋常ならざる話』と題されたイリフ&ペトロフによる連作短編の第4話。全訳。 ▷ 第1話〈青い悪魔〉はこちら 。 ▷〔〕は訳注。 コメンタリーはこちら 。 ▷2025.1.4 改訳更新。 _______  コロコラムスクの物語を、神秘のヴェールで包んでおく必要はないであろうから、読者諸氏に以下のことをお知らせする。  A)コロコラムスクは実在する。  B)ヴォロコラムスク 〔モスクワ近郊に実在する町〕 とは何の関係もない。  C)コロコラムスクは、ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国と、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国のちょうど境にある。それゆえ、これらの友好的な連邦共和国のどちらの地図にも載っていない。これに関しては、我々の地理学者の責任だと言わざるをえない。  新聞記者や、ルポライター、地方生活ライターはどうしていたのかといえば、彼らは、コロコラムスクを目指そうとはするものの、奇妙な運命のいたずらによってヤルタやキスロヴォツクに行き着いてしまっていた。そうしたところは書くに値する最良の場所なものだから、彼らは熱心にそれらの町の記事を書いてきたのであった。  しかし筆者は、画家K・ロトフとともにコロコラムスクにたどり着き、そこのホテル「リャジスク」に滞在して、驚くべきこの町の全体図をとることに成功した。 K・ロトフによる見取り図  図からもわかるとおり、栄えあるコロコラムスクの町は、ゆるやかに流れるズブルヤ河の左岸に悠然と広がっている。十四世紀の昔、コロコラムスクを治めるアンドレイ・オレスキイ公の馬丁が、ビザンチンの酒をしこたま飲んで酔っぱらい、公の馬具 〔ズブルヤ〕 を川へ落とした。馬具は沈み、それ以来川はズブルヤと呼ばれるようになった。  この事件から時は流れて数世紀、オレスカヤ広場もチレンスカヤ広場と改名されて久しく、馬具を沈めた伝説を知る者はもはや老プソフ氏ひとりしかいない。彼は、ビアホール「胃袋の友」でビール瓶を傾けながら、我々にこの伝説を語ってくれたのであった。  ズブルヤ河には、ヴォジャ 〔手綱〕 川という、取るに足りない細流が流れ込んでいる。この川については何の情報も得られなかった。というのも、メストコモフスカヤ大通りに並んでいる全てのビアホールでご馳走してからでないと、覚えていることを話さないと老プソフが譲らなかったからであ...

連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』(1929)ヴァシスアーリー・ロハンキン 全訳

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▷『コロコラムスク市の尋常ならざる話』と題されたイリフ&ペトロフによる連作短編の第3話。全訳。 ▷ 第1話〈青い悪魔〉はこちら 。 ▷〔〕は訳注。 コメンタリーはこちら 。 ▷2025.1.4 改訳更新。 _______  コロコラムスクでは、棺桶職人のヴァシスアーリイ・ロハンキンがここまで興奮しているところをもう長らく見たことがなかった。小ビーウシャヤ通りを歩いていく彼は、この二日間まったく酒を飲んでいなかったにもかかわらず、足をもつれさせていた。  彼は家を順繰りにたずねていって、つぎのような最新のニュースを同胞らに伝えてまわった。 「この世の終わり、洪水だ。天の底が抜けたみたいな大雨だ。県都じゃ、七日七晩どしゃ降りだと。真面目に働いてたやつが、もう二人も溺れた。この世の終わりの始まりだ。ボリシェビキがここまで追い詰めたんだ! ほら、見てみろ!」  そう言ってロハンキンは震える手で空を指した。紫色の雨雲が四方から迫ってきていた。地平線はゴロゴロと音をたて、短く猛々しい稲妻を放っていた。  十七番地に住むプフェルドは感受性の強い男で、ロハンキンの言うことをすっかり拡大して受け取った。プフェルドの中では、モスクワはすでに水浸しになって、あらゆる川が氾濫していることになっていて、プフェルドはそれを天罰だと解釈した。不安げに空を見上げていた市民が寄り集まっているところへ、オレンジ色のフランネルの部屋着のままのシツィリヤ・ペトローヴナが駆け寄ってきて、洪水はずいぶん前に予想されていたことで、先週、中央から来た知り合いの共産主義者もこのことを話していた、と言ったので、町はパニックになった。  コロコラムスクの人びとは生きることを謳歌しており、人生の盛りに死ぬことを望んでいなかった。洪水から町を救う計画が口々に出された。 「そうだな、ほかの町へ移るのは?」と言ったのはニキータ・プソフで、市民の中では最も愚かな部類であった。 「空へ向けて大砲を撃つのがいいだろう」とムッシュ・ホントーノフが提案した。「こんなふうにして雨雲を散らすんだ」  しかし、どちらの提案も却下された。一つ目の提案は、四方がすでに冠水しているのだからどこにも行くあてはないのだ、とロハンキンが見事に論証してみせたあとで退けられた。二つ目の提案は、じゅうぶんに実用的ではあったが、大砲がないために採用することができ...

イリフとペトロフのアメリカ旅行マップ

▷イリフとペトロフが自動車で横断したアメリカ旅行の旅程と、関連する著作のリスト ▷記述が見つかれば随時更新 1935.09.19  モスクワ発 (ポーランド、チェコスロバキア、オーストリアを経てパリ) 1935.10.02  フランスのルアーブル港からノルマンディー号に乗船 1935.10.07〜10.11  ニューヨーク 1935.10.13〜10.15  ワシントン 1935.10.17〜11.06  ニューヨーク 1935.10月某日  ダンベリー (コネチカット州) スケネクタディ (ニューヨーク州) バッファロー (ニューヨーク州) 1935.11.10  シルバー・クリーク (ニューヨーク州) クリーブランド (オハイオ州) 1935.11.11  トリード (オハイオ州) 1935.11.12  ディアボーン (ミシガン州) 1935.11.15〜11.16  シカゴ (イリノイ州) 1935.11.17  ドワイト (イリノイ州) 1935.11.18  ハンニバル (ミズーリ州) 1935.11.19  ネバダ (ミズーリ州) 1935.11.20  オクラホマ (オクラホマ州) 1935.11.21  アマリロ (テキサス州) [ 1935.11.24  プラウダ紙に『ニューヨークへの道』が掲載 ] 1935.11.26  ギャラップ (ニューメキシコ州) 1935.12.03〜12.07  サンフランシスコ (カリフォルニア州) 1935.12.09〜12.23  ロサンゼルス/ハリウッド (カリフォルニア州) 1935.12.26  サンディエゴ (カリフォルニア州) 1935.12.27  ベンソン (アリゾナ州) 1935.12.29  エル・パソ (テキサス州) 1935.12.30  フォート・ストックトン (テキサス州) 1935.12.31 〜1936.01.01  サン・アントニオ (テキサス州)   1936.01.02  モーガン・シティ (ルイジアナ州)   1936.01.03  ニューオリンズ (ルイジアナ州)   1936.01.05  ペンサコラ (フロリダ州) 1936.01.06  タラハッシー (フロリダ州) 1936.01.07?  チャールストン (サウスカロライナ州) 1936.01.08  ゴールズボ...

長編『十二の椅子』(1928年)第2章 翻訳

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▷長編小説『十二の椅子』第2章を訳出。A・イリフによる増補版を底本に使用。 ▷文中の〔〕は訳注、または読みがな。 ▷登場人物①:イポリート・マトヴェーヴィチ・ヴォロビヤニノフ (元貴族。ロシア革命後の今は地方のN町で役所づとめ。52歳) ▷登場人物②:クラヴジヤ・イヴァーノヴナ・ペトゥホワ (ヴォロビヤニノフの姑。娘はすでに死に、婿のヴォロビヤニノフとふたり暮らし。心臓発作で倒れる) _______  ( 第1章から読む ) 第2章 マダム・ペトゥホワの最期  クラヴジヤ・イヴァーノヴナは、仰向けに寝て、片手を頭の下に差し込んでいた。頭には、濃いアプリコット色のナイトキャップをかぶっていた。こうしたナイトキャップは、ご婦人がたがマーメイドラインのスカートを身につけて、アルゼンチン・タンゴを踊り始めたばかりの頃に流行したものであった。  クラヴジヤ・イヴァーノヴナの顔つきは厳かではあったが、のっぺりとして何の表情もなかった。目は天井を見つめていた。 「クラヴジヤ・イヴァーノヴナ!」とイポリート・マトヴェーヴィチは呼びかけた。  姑は唇を小刻みにふるわせたが、イポリート・マトヴェーヴィチの耳には、耳慣れたトランペットのようなけたたましい音の代わりに小さなか細いうめき声が聞こえ、哀れをそそられた彼の心臓はぎゅっと締めつけられた。思いがけずキラキラした涙が目からあふれ、あたかも水銀のように頬を滑っていった。 「クラヴジヤ・イヴァーノヴナ、」とヴォロビヤニノフは繰り返した。「どうなさったのです?」  しかしまたしても答えは得られなかった。老女は目を閉じ、かすかに体を動かして脇を向いた。  農業技師夫人が静かに入ってきて、子どもを手洗いに連れていくような手つきでヴォロビヤニノフの手をとり、彼を部屋から連れ出した。 「眠られたんですよ。お医者さんが、安静にさせなくちゃいけないって。ね、いいこと、薬局へ行ってきてくださいな。これが処方箋です、それと、氷嚢がいくらするか、教えてくださいね」  この手のことは間違いなくクズネツォワ夫人のほうが上手だと感じたイポリート・マトヴェーヴィチは、夫人に全面的にしたがうことにした。  薬局まで走っていくには遠かった。処方箋をギムナジウム式にこぶしの中に握りしめると、イポリート・マトヴェーヴィチは急ぎ足で表へ出た。  もうほとんど暗くなって...