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新聞『プラウダ』と、イリフ&ペトロフ掲載作

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▷イリフ&ペトロフの作品を掲載誌別に時系列で整理 ▼新聞『プラウダ(真実)』とは レーニン率いる共産党(ボリシェビキ)が 1912年に創刊した新聞。 ソビエト政権樹立後、党の機関紙として絶大な影響力を持った。 『プラウダ』1936年341号。 イリフ&ペトロフ『人のよいクリャトニコフ氏』掲載 イリフとペトロフは1932年12月から寄稿するようになり、『プラウダ』の特派員として、1935年の秋から1936年初頭にかけて、アメリカ旅行にも出かけている。 ペトロフは、イリフの死後(1937年以降)も単独で執筆・掲載を続けた。 ▼新聞『プラウダ』掲載のイリフ&ペトロフ作品 (末尾の日付=新聞の 発行日) 1932年  『ロビンソンはいかにして創られたか』 Как сознавался Робинзон (10月27日) 『1を楽しんで』 Веселящаяся единица (11月12日) 『無関心』 Равнодушие (12月1日) 『KLOOP』 Клооп (12月9日) 1933年 『ガチョウを携えた男』 Человек с гусем (1月18日) 『工場長の尋常ならざる苦悩』 Необыкновенные страдания директора завода (3月26日) 1934年  『指令のリボン』 Директивный бантик (3月19日) 『カツレツを片付けたまえ』 Уберите ваши котлеты (3月25日)  *全集未収録  『愛しのトラム』 Любимый трамвай (4月7日)  *全集未収録  『愛は相互献身であるべし』 Любовь должна быть обоюдной (4月19日) 『がりがりの一本足』 Костяная нога (5月19日) 『お茶の席での会話』 Разговоры за чайным столом (5月21日) 『男の死』 Человек умер (6月13日)  *全集未収録  『りっぱな客人たち』 Чудесные гости (6月28日) 『楽して稼ぐ心意気』 Дух наживы (7月11日) 『サモワールのそばで』 У самовар...

雑誌『クロコジール』と、イリフ&ペトロフ掲載作

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▷イリフ&ペトロフの作品を掲載誌別に時系列で整理 ▼雑誌『クロコジール(鰐)』とは 1922年からモスクワで発行されていた風刺雑誌。最初は『労働新聞』の付録という扱いだった。 元々は週刊だったが、1932年から10日に1回の発行になった。 1932年以降はプラウダ出版所が発行元。 『クロコジール』1932年24号表紙。イリフ&ペトロフ『予約席』掲載号 イリフとペトロフの共同執筆作品が載るようになったのは、1932年以降。 1932年の24号まで、ふたりはトルストエフスキーという筆名で書いていた。 (この筆名は、別の 風刺雑誌『チュダーク』 でも使われていた) 『クロコジール』は、政治的に正しい風刺対象を指定する指針をつくっていたことがわかっている。(くわしくは 「リュドミラ・サラスキナによるイリフ&ペトロフ批評」 という記事を参照) ▼雑誌『クロコジール』掲載のイリフ&ペトロフ作品 (末尾の№=雑誌の号数) 1924年 『雑費』Накладные расходы (№ 27)  * ペトロフ単独作、 全集未収録 1925年 『陽気な連中』Веселые ребятки (№ 28)  * ペトロフ単独作、 全集未収録 1932年 『燃えてはいるが、燃え尽きてはいない』Горю —и не сгораю (№ 10) 『ここで船に積荷する』Здесь нагружают корабль (№ 11) 『4つの会見』Четыре свиданья (№ 12) 『天使の誕生』Рождение ангела (№ 13) 『贅沢による責め苦』Пытка роскошью (№ 14) 『実のところ、私は作家ではありません』 Я, в общем, не писатель (№ 15—16) 『おしゃべりしたくなる』 Хотелось болтать (№ 18) 『謎めいた性格』Загадочная натура (№ 22) *ペトロフ単独作 『勝利者』Победитель (№ 23) *全集未収録 『予約席』Бронированное место (№ 24) 『Ich bin 全身』Их бин с головы до ног (№ 31) *全集未収録 1933年 『否定的タイプ』Отрицательный тип (№ 1) *全集未...

短編『戸籍登録員の過去』(1929年)訳 5/5

▷イリフ&ペトロフの代表作『十二の椅子』の外伝的作品 ▷『十二の椅子』の主人公ヴォロビヤニノフの過去 ▷本文中の緑字は訳注あり(クリックで コメンタリーページ へ遷移)   _______ (はじめから読む) (4から読む)    時は一九一三年だった。   フランス人飛行士のブランデンジョン・ドゥ・ムリネ が、かの有名なパリ=ワルシャワ間の飛行を成し遂げ、ポメリー社の賞金を得た。麦わら帽をかぶり、白いレースの日傘を持った婦人がたや、ギムナジウムの上級生たちが、歓喜の声でこの空の勝者を出迎えた。困難な体験を経たにもかかわらず、彼は自分に力がみなぎっているのを感じ、すすんでロシアのウォッカを飲んだ。  生が泉のように湧きでていた。  モスクワのアレクサンドロフスキー駅では、専門学校の女学生や、ポーターや、〈自由美学〉協会のメンバーらが集まって、 ポリネシアから戻ったコンスタンチン・バリモント を出迎えていた。丸々した頬の貴婦人が、最初に、山羊髭を生やした吟遊詩人に濡れたバラを投げ込んだ。春の花、スズランが詩人に降りそそいだ。最初の歓迎スピーチが始まった。 「親愛なるコンスタンチン、七年もの間、あなたはモスクワを不在にしました…」  詩人へのスピーチのあと、弁護士出身の崇拝者が人をかき分けて進みでて、詩人に花束を手渡しながら、あらかじめ暗記してきた即興詩を披露した。    雨雲から   太陽の光、   それは君の化身。   君の威風、   君のメロディー、   君は本物だ。  その晩、〈自由美学〉協会で開かれた祝賀会は、新未来派のマヤコフスキーの演説で暗転した。彼は、高名な吟遊詩人のそばであれこれ見聞きしてこう言ったのだった、「挨拶がどれも自分のよく知った人からだということに、彼は驚かないのでしょうか」。しいっ! ピーッ! といった警告音が、新未来派詩人の言葉にかぶさった。  二人の若者、二十歳のガイスマール男爵と、外務省高官の息子ダルマトフが、映画館で予備役准尉の妻マリアンナ・チーメと知り合い、そして 強奪目的で彼女を殺害した。  映画館では、しわくちゃのスクリーンの上で、ロシア生活の三方面における心を打つドラマが上映されていた。『ブティルスカヤ公爵夫人』、世界の事件のニュース映画『エクレール=ジャー...

短編『戸籍登録員の過去』(1929年)訳 4/5

▷イリフ&ペトロフの代表作『十二の椅子』の外伝的作品 ▷『十二の椅子』の主人公ヴォロビヤニノフの過去 ▷本文中の緑字は訳注あり(クリックで コメンタリーページ へ遷移)  _______  (はじめから読む) (3から読む)  生活は陽気に、飛ぶように過ぎていった。イポリート・マトヴェーヴィチを落とそうとする進取の気性をもった女性はもういなかった。彼はふしだらな独身男であると誰もが考えていた。すると一九一一年に突然、ヴォロビヤニノフは隣人である裕福な女地主ペトゥホワの娘と結婚した。このような事態となったのは、名うての独身男である彼が領地に立ち寄った際、自分の身代が傾き、有利な結婚をしないと立て直すことは不可能であるとみてとった後のことであった。最大限の結婚持参金を得られそうなのが、ひょろりとして大人しい性格のマリー・ペトゥホワ嬢だった。二ヶ月間、イポリート・マトヴェーヴィチはマリーの足元に白いバラを積みあげ、三ヶ月目にプロポーズをして、結婚をし、そして郡の貴族団長に選出された。 「ねえ、あなたの骸骨ちゃんは元気?」エレーナ・スタニスラヴォヴナはやさしくそう尋ねるのだった。結婚してからというもの、イポリート・マトヴェーヴィチは以前より足しげく彼女のもとに立ち寄るようになっていた。  イポリート・マトヴェーヴィチはそれに答えて、笑いにむせびながら、陽気に歯を見せて言うのだった。 「よしてくれ、正直に言うが、彼女はとてもかわいらしい人だよ、ひどく幼くはあるけれどね…。姑のクラヴジヤ・イヴァーノヴナときたら! …あの人はぼくを〈エポレート〉って呼ぶんだ。パリではそう発音すると思ってるのさ! 傑作だよ!」  年を追うごとに、イポリート・マトヴェーヴィチの生活は目に見えて変わっていった。彼は早くにきれいな銀髪となった。ちょっとした習慣ができた。 朝目覚めると、自分に向かって〈グーテン・モルゲン〉あるいは〈ボン・ジュール〉と言う習慣 だ。子どもっぽいことに熱中するようにもなった。地方切手の収集をはじめ、それに多額のお金をつぎこんで、気がつけば早々に国内で一番の収集家となり、ロシア地方切手の完全なコレクションを有するイギリス人エンフィールド氏と活発に手紙のやりとりをし始めた。同種の切手収集の分野で、このイギリス人に先んじられていることがイポリート・マトヴェー...