連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』(1929)ヴァシスアーリー・ロハンキン 全訳
コロコラムスクでは、棺桶職人のヴァシスアーリイ・ロハンキンがここまで興奮しているところをもう長らく見たことがなかった。小ビーウシャヤ通りを歩いていく彼は、この二日間まったく酒を飲んでいなかったにもかかわらず、足をもつれさせていた。
彼は家を順繰りにたずねていって、つぎのような最新のニュースを同胞らに伝えてまわった。
「この世の終わり、洪水だ。天の底が抜けたみたいな大雨だ。県都じゃ、七日七晩どしゃ降りだと。真面目に働いてたやつが、もう二人も溺れた。この世の終わりの始まりだ。ボリシェビキがここまで追い詰めたんだ! ほら、見てみろ!」
そう言ってロハンキンは震える手で空を指した。紫色の雨雲が四方から迫ってきていた。地平線はゴロゴロと音をたて、短く猛々しい稲妻を放っていた。
十七番地に住むプフェルドは感受性の強い男で、ロハンキンの言うことをすっかり拡大して受け取った。プフェルドの中では、モスクワはすでに水浸しになって、あらゆる川が氾濫していることになっていて、プフェルドはそれを天罰だと解釈した。不安げに空を見上げていた市民が寄り集まっているところへ、オレンジ色のフランネルの部屋着のままのシツィリヤ・ペトローヴナが駆け寄ってきて、洪水はずいぶん前に予想されていたことで、先週、中央から来た知り合いの共産主義者もこのことを話していた、と言ったので、町はパニックになった。
コロコラムスクの人びとは生きることを謳歌しており、人生の盛りに死ぬことを望んでいなかった。洪水から町を救う計画が口々に出された。
「そうだな、ほかの町へ移るのは?」と言ったのはニキータ・プソフで、市民の中では最も愚かな部類であった。
「空へ向けて大砲を撃つのがいいだろう」とムッシュ・ホントーノフが提案した。「こんなふうにして雨雲を散らすんだ」
しかし、どちらの提案も却下された。一つ目の提案は、四方がすでに冠水しているのだからどこにも行くあてはないのだ、とロハンキンが見事に論証してみせたあとで退けられた。二つ目の提案は、じゅうぶんに実用的ではあったが、大砲がないために採用することができなかった。
そうして、希望と熱望をこめた全コロコラムスクの視線は、群衆からすこし離れたところに立って、自分の晴れがましい口ひげを満足そうにひねっているノア・アルヒーポヴィチ・ポホチッロ船長に向けられた。人生経験の豊かさで知られた船長は、すぐに切りかえした。
「箱舟だよ!」と彼は言った。「箱舟をつくらねば!」
「ノア・アルヒーポヴィチ!」大いなる事件の予感にかられた群衆がざわついた。
「精算する必要はない」ノア船長はぴしゃりと言った。「感謝するのは救済のあとだ」
市民たちの頭に、うす紫色をした最初の雨粒が落ちた。これがコロコラムスクの人々の気持ちをふるいたたせ、彼らは一刻の猶予もなしに箱舟建設にとりかかった。町にあったすべての木材が建設に使われた。
設計図の元になったのは、「活ける教会」派に属するゾロアスターコフ神父が持ち込んだ、十八フント〔七キロ超〕もあるセムキノの聖書に描かれたギュスターヴ・ドレのさし絵であった。日が暮れるにつれて雨は強くなり、人々は傘をさしての労働を余儀なくされた。木材が足りなくなり、箱舟の屋根には棺桶職人ロハンキンの棺が使われた。屋根は、棺に張った金銀の錦に光りかがやいていた。
「精算する必要はない」とノア船長は言うのだった。
船長は荒天用のレインコートと防水ハットを身につけていた。まばらな雨がひと晩じゅう降りつづいた。夜明けになると、箱舟に乗客たちがやって来はじめた。そして市民は、ここにきてようやく「精算する必要はない」という奇妙な言葉の意味を理解した。彼らは、たえず精算するはめになってしまった。ノア船長はあらゆることにかこつけてお金を徴収したのだ。入場にも、荷物にも、清潔なあるいは不潔な動物のつがいを航海に持ち込む権利にも、(船長曰く揺れの少ない)船尾の空間に座るにも。
最初の乗客たちの中には、次のようなメンバーがいた。ムッシュ・ホントーノフ、プフェルド、シツィリヤ・ペトローヴナ(朝の部屋着から、防水布のタリエール・スーツに着替えていた)。抜け目のない船長は八十ルーブルずつ徴収した。しかしその後、ノア船長はソヴィエト貨幣での徴収をやめ、帝政時代の貨幣を受け取ることにした。ニキータ・プソフは箱舟の前でブーツを脱いで、そこから「カーチェンカ」〔帝政時代の百ルーブル札〕を取り出し、それによって妻と常緑のゴムの木を同船させることを許された。
箱舟のところには大渋滞が生じた。少しばかりウォッカを飲んだ船長は、洪水のあとにはお金の流通が途絶えてしまうのだから、お金なんて自分には何の必要もないのだ、と口では言うものの、コロコラムスクの人たちを無料で助けてやる気もないのだった。人々は、乗船料を物品で支払うことをなんとかノア船長に承諾させた。彼は船の入口に立ち、誰かのツイル生地のズボンを軽蔑した目つきで光にかざしてみたり、金鎖のブレスレットの重みを手で確かめたりした。ミシン類も嫌がらずに受け取り、それが足踏みミシンなら、なお喜んだ。
乗船は大騒ぎとなった。本降りになってきた雨に追い立てられて、市民たちがどっと押しかけてきたのだ。箱舟の定員は、舵取り役のノア船長とその第一助手であるロハンキンを入れて二十二人がせいぜいであった。
「箱舟はゴム製じゃないんだぞ!」と、ノア船長は自分のひろい胸で入口を塞ぎながら叫んだ。
市民たちはせっぱつまって怒鳴り声を上げた。
「中に詰めて! 前のほうは空いてるだろ!」
「みなさん、カラスの鳥籠を通してやってください!」とヴァシスアーリイ・ロハンキンが叫びたてた。
カラスたちを運び終えたところで、ノア船長の目には、朗読・歌唱教室の室長シンジク=ブガエフスキイが背後に生徒全員をしたがえて、向こうの方からこちらへやってきているのが見えた。
「出航する!」恐怖にかられて、船長は叫んだ。「みなさん、はしごから離れて! 精算する必要はない!」
音をたてて扉が閉まった。箱舟の錦の屋根を、雨が脅すように叩いていた。外からは、破滅を運命づけられたコロコラムスクの人びとのくぐもった泣き声が聞こえてきた。大航海が始まった。
三日三晩のあいだ、選ばれしコロコラムスクの人びとは船内に座り、ろくな食事もとらずに、黙りこくって来たるべき未来を不安な気持ちで待っていた。
四日目に、天窓を開けてカラスを放った。カラスは飛んでいって、戻ってこなかった。
「まだ早いんだ」とロハンキンは言った。
「水はまだ引いていない!」と船長が説明した。
五日目に、二羽目のカラスを放った。カラスは五分もすると戻ってきた。その左足には、次のようなメモが結びつけられていた。
「出てこい愚か者ども」。そして「シンジク=ブガエフスキイ」と署名があった。
選ばれしコロコラムスクの人びとは出口に駆け寄った。太陽の光が彼らの目を射た。箱舟は、ほこりにまみれて、元の建設場所すなわち小ビーウシャヤ通りのビアホール「胃袋の友」の隣にとどまっていた。
「ちょっと待った、洪水はどこだ?」激怒してプフェルドが怒鳴った。「ロハンキンがぜんぶ考え出したってことだな」
「おれが考えた?」かっとなってヴァシスアーリイ・ロハンキンが言った。「川が氾濫したとか、モスクワが水没したとか言ったのは誰だ? それもロハンキンか?」
「精算する必要はない!」ノア船長が雷を落とした。そして棺桶職人ロハンキンの紅潮した顔をカラスでぶった。洪水の作り手に対する市民たちの精算は深夜にまで及んだ。
▷原文:
▷図版出典:『チュダーク』1929年、第3号。
▷翻訳:Ayako Kagotani


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