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連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』(1929)町とその周辺 全訳

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▷『コロコラムスク市の尋常ならざる話』と題されたイリフ&ペトロフによる連作短編の第4話。全訳。 ▷ 第1話〈青い悪魔〉はこちら 。 ▷〔〕は訳注。 コメンタリーはこちら 。 ▷2025.1.4 改訳更新。 _______  コロコラムスクの物語を、神秘のヴェールで包んでおく必要はないであろうから、読者諸氏に以下のことをお知らせする。  A)コロコラムスクは実在する。  B)ヴォロコラムスク 〔モスクワ近郊に実在する町〕 とは何の関係もない。  C)コロコラムスクは、ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国と、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国のちょうど境にある。それゆえ、これらの友好的な連邦共和国のどちらの地図にも載っていない。これに関しては、我々の地理学者の責任だと言わざるをえない。  新聞記者や、ルポライター、地方生活ライターはどうしていたのかといえば、彼らは、コロコラムスクを目指そうとはするものの、奇妙な運命のいたずらによってヤルタやキスロヴォツクに行き着いてしまっていた。そうしたところは書くに値する最良の場所なものだから、彼らは熱心にそれらの町の記事を書いてきたのであった。  しかし筆者は、画家K・ロトフとともにコロコラムスクにたどり着き、そこのホテル「リャジスク」に滞在して、驚くべきこの町の全体図をとることに成功した。 K・ロトフによる見取り図  図からもわかるとおり、栄えあるコロコラムスクの町は、ゆるやかに流れるズブルヤ河の左岸に悠然と広がっている。十四世紀の昔、コロコラムスクを治めるアンドレイ・オレスキイ公の馬丁が、ビザンチンの酒をしこたま飲んで酔っぱらい、公の馬具 〔ズブルヤ〕 を川へ落とした。馬具は沈み、それ以来川はズブルヤと呼ばれるようになった。  この事件から時は流れて数世紀、オレスカヤ広場もチレンスカヤ広場と改名されて久しく、馬具を沈めた伝説を知る者はもはや老プソフ氏ひとりしかいない。彼は、ビアホール「胃袋の友」でビール瓶を傾けながら、我々にこの伝説を語ってくれたのであった。  ズブルヤ河には、ヴォジャ 〔手綱〕 川という、取るに足りない細流が流れ込んでいる。この川については何の情報も得られなかった。というのも、メストコモフスカヤ大通りに並んでいる全てのビアホールでご馳走してからでないと、覚えていることを話さないと老プソフが譲らなかったからであ...

連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』(1929)ヴァシスアーリー・ロハンキン 全訳

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▷『コロコラムスク市の尋常ならざる話』と題されたイリフ&ペトロフによる連作短編の第3話。全訳。 ▷ 第1話〈青い悪魔〉はこちら 。 ▷〔〕は訳注。 コメンタリーはこちら 。 ▷2025.1.4 改訳更新。 _______  コロコラムスクでは、棺桶職人のヴァシスアーリイ・ロハンキンがここまで興奮しているところをもう長らく見たことがなかった。小ビーウシャヤ通りを歩いていく彼は、この二日間まったく酒を飲んでいなかったにもかかわらず、足をもつれさせていた。  彼は家を順繰りにたずねていって、つぎのような最新のニュースを同胞らに伝えてまわった。 「この世の終わり、洪水だ。天の底が抜けたみたいな大雨だ。県都じゃ、七日七晩どしゃ降りだと。真面目に働いてたやつが、もう二人も溺れた。この世の終わりの始まりだ。ボリシェビキがここまで追い詰めたんだ! ほら、見てみろ!」  そう言ってロハンキンは震える手で空を指した。紫色の雨雲が四方から迫ってきていた。地平線はゴロゴロと音をたて、短く猛々しい稲妻を放っていた。  十七番地に住むプフェルドは感受性の強い男で、ロハンキンの言うことをすっかり拡大して受け取った。プフェルドの中では、モスクワはすでに水浸しになって、あらゆる川が氾濫していることになっていて、プフェルドはそれを天罰だと解釈した。不安げに空を見上げていた市民が寄り集まっているところへ、オレンジ色のフランネルの部屋着のままのシツィリヤ・ペトローヴナが駆け寄ってきて、洪水はずいぶん前に予想されていたことで、先週、中央から来た知り合いの共産主義者もこのことを話していた、と言ったので、町はパニックになった。  コロコラムスクの人びとは生きることを謳歌しており、人生の盛りに死ぬことを望んでいなかった。洪水から町を救う計画が口々に出された。 「そうだな、ほかの町へ移るのは?」と言ったのはニキータ・プソフで、市民の中では最も愚かな部類であった。 「空へ向けて大砲を撃つのがいいだろう」とムッシュ・ホントーノフが提案した。「こんなふうにして雨雲を散らすんだ」  しかし、どちらの提案も却下された。一つ目の提案は、四方がすでに冠水しているのだからどこにも行くあてはないのだ、とロハンキンが見事に論証してみせたあとで退けられた。二つ目の提案は、じゅうぶんに実用的ではあったが、大砲がないために採用することができ...

イリフとペトロフのアメリカ旅行マップ

▷イリフとペトロフが自動車で横断したアメリカ旅行の旅程と、関連する著作のリスト ▷記述が見つかれば随時更新 1935.09.19  モスクワ発 (ポーランド、チェコスロバキア、オーストリアを経てパリ) 1935.10.02  フランスのルアーブル港からノルマンディー号に乗船 1935.10.07〜10.11  ニューヨーク 1935.10.13〜10.15  ワシントン 1935.10.17〜11.06  ニューヨーク 1935.10月某日  ダンベリー (コネチカット州) スケネクタディ (ニューヨーク州) バッファロー (ニューヨーク州) 1935.11.10  シルバー・クリーク (ニューヨーク州) クリーブランド (オハイオ州) 1935.11.11  トリード (オハイオ州) 1935.11.12  ディアボーン (ミシガン州) 1935.11.15〜11.16  シカゴ (イリノイ州) 1935.11.17  ドワイト (イリノイ州) 1935.11.18  ハンニバル (ミズーリ州) 1935.11.19  ネバダ (ミズーリ州) 1935.11.20  オクラホマ (オクラホマ州) 1935.11.21  アマリロ (テキサス州) [ 1935.11.24  プラウダ紙に『ニューヨークへの道』が掲載 ] 1935.11.26  ギャラップ (ニューメキシコ州) 1935.12.03〜12.07  サンフランシスコ (カリフォルニア州) 1935.12.09〜12.23  ロサンゼルス/ハリウッド (カリフォルニア州) 1935.12.26  サンディエゴ (カリフォルニア州) 1935.12.27  ベンソン (アリゾナ州) 1935.12.29  エル・パソ (テキサス州) 1935.12.30  フォート・ストックトン (テキサス州) 1935.12.31 〜1936.01.01  サン・アントニオ (テキサス州)   1936.01.02  モーガン・シティ (ルイジアナ州)   1936.01.03  ニューオリンズ (ルイジアナ州)   1936.01.05  ペンサコラ (フロリダ州) 1936.01.06  タラハッシー (フロリダ州) 1936.01.07?  チャールストン (サウスカロライナ州) 1936.01.08  ゴールズボ...

長編『十二の椅子』(1928年)第2章 翻訳

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▷長編小説『十二の椅子』第2章を訳出。A・イリフによる増補版を底本に使用。 ▷文中の〔〕は訳注、または読みがな。 ▷登場人物①:イポリート・マトヴェーヴィチ・ヴォロビヤニノフ (元貴族。ロシア革命後の今は地方のN町で役所づとめ。52歳) ▷登場人物②:クラヴジヤ・イヴァーノヴナ・ペトゥホワ (ヴォロビヤニノフの姑。娘はすでに死に、婿のヴォロビヤニノフとふたり暮らし。心臓発作で倒れる) _______  ( 第1章から読む ) 第2章 マダム・ペトゥホワの最期  クラヴジヤ・イヴァーノヴナは、仰向けに寝て、片手を頭の下に差し込んでいた。頭には、濃いアプリコット色のナイトキャップをかぶっていた。こうしたナイトキャップは、ご婦人がたがマーメイドラインのスカートを身につけて、アルゼンチン・タンゴを踊り始めたばかりの頃に流行したものであった。  クラヴジヤ・イヴァーノヴナの顔つきは厳かではあったが、のっぺりとして何の表情もなかった。目は天井を見つめていた。 「クラヴジヤ・イヴァーノヴナ!」とイポリート・マトヴェーヴィチは呼びかけた。  姑は唇を小刻みにふるわせたが、イポリート・マトヴェーヴィチの耳には、耳慣れたトランペットのようなけたたましい音の代わりに小さなか細いうめき声が聞こえ、哀れをそそられた彼の心臓はぎゅっと締めつけられた。思いがけずキラキラした涙が目からあふれ、あたかも水銀のように頬を滑っていった。 「クラヴジヤ・イヴァーノヴナ、」とヴォロビヤニノフは繰り返した。「どうなさったのです?」  しかしまたしても答えは得られなかった。老女は目を閉じ、かすかに体を動かして脇を向いた。  農業技師夫人が静かに入ってきて、子どもを手洗いに連れていくような手つきでヴォロビヤニノフの手をとり、彼を部屋から連れ出した。 「眠られたんですよ。お医者さんが、安静にさせなくちゃいけないって。ね、いいこと、薬局へ行ってきてくださいな。これが処方箋です、それと、氷嚢がいくらするか、教えてくださいね」  この手のことは間違いなくクズネツォワ夫人のほうが上手だと感じたイポリート・マトヴェーヴィチは、夫人に全面的にしたがうことにした。  薬局まで走っていくには遠かった。処方箋をギムナジウム式にこぶしの中に握りしめると、イポリート・マトヴェーヴィチは急ぎ足で表へ出た。  もうほとんど暗くなって...

連作短編『コロコラムスク市の尋常ならざる話』(1929)南米からの客 全訳

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▷『コロコラムスク市の尋常ならざる話』と題されたイリフ&ペトロフによる連作短編の第2話。全訳。 ▷ 第1話〈青い悪魔〉はこちら 。 ▷〔〕は訳注(読みがな、意味など)。 コメンタリーはこちら 。 ▷2025.1.3 改訳更新。 _______  ある日曜の朝、メストコモフスカヤ大通りに、それまでコロコラムスクで見かけたことのない紳士が姿を見せた。チェビオット羅紗で仕立てた薔薇色のスーツに、星柄のネクタイを身につけている。紳士からは、かぐわしい草原の香りが漂ってきていた。放心したようにあたりを見回すその丸々した顔には、螺鈿のように輝く感激の涙が伝っていた。珍妙なその紳士の後ろを、色とりどりのスーツケースを積んだ手押し車が駅のポーターに押されてついていった。  チレンスカヤ広場までたどり着くと、その行列は止まった。そこには、コロコラムスクの町と、町を迂回して流れるズブルヤ川のすばらしい眺めがひらけており、薔薇色の紳士はわっと泣きだした。ポーターも形ばかりすすり泣いてみせたが、その際、ポーターからは息苦しいほどのウォッカの匂いが漂ってきた。  このような状態でいるところを、小一時間たって偽協同組合「個人労働」議長ムッシュ・ホントーノフが見かけた。彼は組合の用事で広場を通りかかったのであった。  その見知らぬ人から十歩離れたところで立ち止まり、ホントーノフは驚いてたずねた。 「パルドン 〔すみません〕 、どこでそのようなスーツを手に入れられたので?」 「ブエノスアイレスです」と、泣いている紳士は答えた。 「では、そのネクタイは?」 「モンテビデオです」 「あなたは一体どなたです?」ホントーノフは叫んだ。 「私はコロコラムスクの人間ですよ!」紳士は答えた。「ゴラツィオ・フェドレンコスです」  偽協同組合議長の喜びようといったらなかった。薔薇色の太っちょの腰をつかんで宙ぶらりんに抱き上げると、音をたてて接吻し、大声で質問を浴びせた。  十分もすると、ホントーノフはすべてを知ることとなった。かつてゲラシム・フェドレンコと呼ばれた男が、今から三十年前にコロコラムスクをあとにし、ダイヤモンドの鉱床を探しあてて前代未聞の金持ちになった。しかし、ゲラシム改めゴラツィオとなったのちも、彼は南米の広野をさまよいながら、故郷コロコラムスクをひと目なりとも見たいと夢見ていた。そして今、ゴラツィオ...

作家ペトロフの最期の日々(1942年7月)

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▷ペトロフは晩年、従軍記者として各地で働き、1942年7月2日、飛行機の墜落事故で死去した。 ▷同時代人による回想を抜粋・訳出(エレンブルグの回想は木村浩訳を抜粋・引用)。 ▷文中の〔〕はブログ注。 _______ イリヤ・エレンブルグによる回想(1962年)  …エヴゲーニイ・ペトロヴィッチ 〔ペトロフ〕 にとっては、イリフの死は大きな打撃であった。最大の親友を亡くしたことが悲しかったばかりではない。イリフペトロフと呼ばれていた作家は死んでしまったことが、彼にはわかっていたからである。一九四〇年、久方ぶりで会った時、ペトロフは、彼にしては珍しく滅入った様子でいった−−「私は何もかも最初からやり始めなければなりません…」  彼はどんな作品を書いたことだろう? ちょっと察しがつかない。彼は偉大な才能と独特な精神的風貌とを持っていた。が、彼は自分の力量を示すことができなかった。戦争が始ったのだ。  彼は縁の下の力持ち的仕事を遂行していた。海外での情報宣伝活動に従事していたソヴィエト情報局の総裁はS・A・ロゾフスキイであった。  わが国の情勢は多難で、多くの同盟国はわが国を見限ろうとしていた。アメリカ国民に真実を語る必要があった。ロゾフスキイは、わが国の作家やジャーナリスト中には、アメリカ人の心理を理解し、彼らのために引用や紋切型の文句を使わずに物の書ける者が少ないことを知っていた。こうして、ペトロフは大通信社ナナ(ヘミングウェイをスペインに派遣した通信社)の従軍記者となった。エヴゲーニイ・ペトロヴィッチ 〔ペトロフ〕 は、勇敢に、辛抱強く、この仕事を遂行していった。彼はまた、『イズベスチヤ』と、『赤い星』にも記事を書送っていた。  私たちはホテル「モスクワ」に住んでいた。戦時下での最初の冬だった。二月五日、灯が消え、エレベーターが止った。ちょうどその夜、エヴゲーニイ・ペトロヴィッチ 〔ペトロフ〕 は爆風による打撲傷を負ってスヒーニチの戦闘から戻ってきた。彼は同行の人たちに自分の体の具合をかくして言わなかったが、やっと階段を十階まで這い上がるや倒れてしまった。私は二日目に彼を訪れた。彼は物を言うのも大儀そうだった。医者が呼ばれた。だが、彼は寝たまま戦闘の記事を書いていた。  一九四二年六月、形勢すこぶる憂鬱な頃、私たちは同じホテルに住むK・A・ウマンスキイの部屋にいた。I...

ヴォードヴィル『強い感情』(1933年)翻訳ノート

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▷『強い感情』の中に出てくる音楽の音源紹介、訳注の補足、翻訳に迷った箇所の説明(言い訳)など。 ▷本編は こちら レオニード・ウチョーソフの『さよなら』 チュラーノフがリータをなだめようと歌うウチョーソフの歌。「さよなら」という歌詞に反して明るい曲調。 原詩は、Пока, Пока, Уж ночь недалека. Пока,... 本来のПокаは「じゃあまた」くらいのニュアンスで、「さよなら」では強すぎるのかもしれないが、チュラーノフが Пока〜♪と歌ったあと、リータがすぐに同じПокаという単語を使って、 Пока вы не приведете иностранца, я с вами не буду разговаривать!(あなたが外国人を連れてこないうちは口聞いてやらない)と突き放しているので、同じ言葉 Покаで受けていることがわかるように、どちらも「さよなら」で統一して訳してみた。 チュラーノフ ・・・想像がつくかい? 披露宴のウチョーソフ!(おずおずと歌い出す)「さよー…ならー… 夜はすぐそこー さよー…ならー…」 リータ さようなら、 外国人を連れて来ないうちは、あなたとは口を聞かない。 ちなみに上記のYouTube動画に写っているのは、ポータブル蓄音機 патефон。作中でベルナルドフが持ち込む蓄音機は、このようなタイプだったと思われる。 レオンカヴァッロのオペラ『道化師』のアリア『衣装をつけろ』 チュラーノフが、リータのために何かをしようとするとき、己を奮い立たせるために歌う「笑うんだ、道化師よ! お前の愛の終焉に!」は、オペラ『道化師』のアリアの一節。 イタリア後原文では ridi, Pagliaccio, sul tuo amore infranto! ロシア語では Смейся, паяц, над разбитой любовью!(Youtube動画はロシア語。『強い感情』でチュラーノフが歌うのもロシア語で) このアリアは、妻の浮気を知って怒りと悲しみにくれる道化師が、そんなときであっても道化師というのは、衣装をつけて人前に出、人を笑わせなくてはいけないのだ、だからどんなに辛くても笑うんだ、と己を奮いたたせる内容で、チュラーノフが立たされた状況ともシンクロしている。 ちなみにこのアリア『衣装をつけろ』を録音したレ...

ヴォードヴィル『強い感情』(1933年)全訳

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▷あるカップルの結婚披露宴で起きるドタバタを描いた作品の全訳。 ▷チェーホフの『結婚披露宴』(1890年)を踏まえていると考えられる。 ▷〔〕内は訳注、もしくは読みがな。 _______ 強い感情 ひと幕のヴォードヴィル _______ 登場人物 スターシク・マルホツキー     花婿 ナータ・マルホツカヤ=リフシッツ     花嫁 リフシッツ     ナータの最初の夫 リータ     ナータの妹 ママ チュラーノフ  青二才の青年 ベルナルドフ     市の作家委員会メンバー マルホツキー     スターシクの父親 スプラヴチェンコ     ブリダン注射で治療をするドクトル アントン・パーヴロヴィチ     客 レフ・ニコラエヴィチ     客 セゲディリヤ・マルコヴナ     客 青年     客 若い女の子たち     客 ミスター・ピップ     身なりの良い外国人 _______ (モスクワの一室。結婚披露宴の準備が進行中。テーブルのあたりで母親とリータがあくせく動き回っている) リータ     まちがいなく、ウォッカが足りない。15人に3本だなんて! ママ、こんなのありえない! ママ     だって リータ、全員が飲むわけじゃないでしょ。 リータ    ママ! 間違いなく全員飲むから。ベルナルドフは飲むし、チュラーノフは飲むし、セゲディリヤ・マルコヴナは飲むし、ドクトルだって、たぶん飲むし… ママ     えっ、ドクトルも来るの? なんだか、いかがわしい人じゃない… あんなちゃんとしないやり方で治療をして、おそろしいブリダンとかいう注射… リータ    いいじゃない、ママ! 今はみんなあれを注射するの! つまり、ドクトルはまず飲むだろうね。レフ・ニコラエヴィチもアントン・パーヴロヴィチも獣並みに飲むし。スターシクも飲むし… ママ     (恐...