短編『戸籍登録員の過去』(1929年)訳 3/5

▷イリフ&ペトロフの代表作『十二の椅子』の外伝的作品
▷『十二の椅子』の主人公ヴォロビヤニノフの過去
▷本文中の緑字は訳注あり(クリックでコメンタリーページへ遷移) 

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 スタルゴロドの慈善バザーは、その豪華さと、上流社会のご婦人がたが競って発揮する創意工夫とで抜きんでていた。そのバザーは、モスクワの旅籠屋のような見ためや、カフカスの村に似せたかっこうにつくられ、そこではコルセットをつけたチェルケス娘たちが、孤児院の子らのためといって、アイのシャンパンを聞いたこともないような前代未聞の高値で売っていた。

 イポリート・マトヴェーヴィチは、そうしたバザーで〈ホンモノのカフカス食堂、ふつうのカフカスの娯楽〉という看板の下に立っていたところ、新任地区検事の妻であるエレーナ・スタニスラヴォヴナ・ボウルと知りあった。検事は年寄りであったが、妻のほうは、裁判所書記官が次のように請け合った人だった。


  …青春が心さわがせ、
  若さが喜びいさむ。
  口づけに呼びまねく、
  その全身はかくも軽ろし。


 この書記官は詩才に欠けていた。

 〈口づけに呼びまねく〉エレーナ・スタニスラヴォヴナは、頭に黒いビロードでできたお皿型の帽子をのせ、そこにフランス国旗の色をした絹製のバラかざりをあしらっていたが、それは若いチェルケスの乙女の装いを完全に表現するはずのものであった。〈軽ろき〉肩には、ボール紙に金の色紙を貼った水差しを乗せており、水差しからはシャンパンボトルの細い首がつきでていた。

「シャンパン一杯モラウ!」と、イポリート・マトヴェーヴィチはほんものの山の民のふりをして言った。

 検事の妻はやわらかくほほえむと肩から水差しを下ろした。

 イポリート・マトヴェーヴィチは、息をつめて、むき出しになった彼女のろう細工のような手が、たどたどしくボトルを開けるのを見つめていた。彼は、なんの味も感じられないままに、シャンパンを飲み干した。エレーナ・スタニスラヴォヴナのむきだしの手が、すっかり頭をかき乱してしまった。ベストのポケットから百ルーブル紙幣を取り出すと、張子でつくった褐色の岩山の端にのせ、大きく鼻で息をつくとその場を離れた。検事の妻はよりいっそうやわらかい笑みを浮かべ、紙幣をじぶんのほうへ引き寄せると歌うような声で言った。

「かわいそうな子どもたちは、あなたの寛大さを忘れないことでしょう」

 離れたところから、両手を胸にあて、イポリート・マトヴェーヴィチはいつもの挨拶より七十センチも深々とお辞儀をした。背を伸ばすころには、彼女なしには生きていけない、とさとって、彼は、新しい地区検事を紹介してくれと書記官に頼んだ。検事は知恵のある猿といったふうだった。タマラの城と、募金箱をくちばしにくわえた鷲の剥製とのあいだを、イポリート・マトヴェーヴィチと一緒に歩きながら、ボウル検事はひっきりなしに耳のうしろを掻き、ペテルブルクの最新ニュースを語った。

 エレーナ・スタニスラヴォヴナとは、その晩のうちに、孤児院の子どもたちの悲惨な境遇やスタルゴロドの公園の景観のよさについて、何度か話す機会があった。

 あくる日、イポリート・マトヴェーヴィチはこの世で最も荒くれた馬をつけた馬車でボウル宅の車寄せに乗りつけて、半刻のあいだ、孤児院の子どもたちの悲惨な境遇についてこの上なく楽しいおしゃべりをし、ひと月もたつころには、裁判所の書記官が、予審判事の毛ぶかい耳元へ、最重要の判例に照らすと検事は〈角つき合いしだしたようです〉と、秘密めかしてささやきかけるほどになった。これを予審判事は鼻で笑って「それはよく噛み砕いてみる必要がありますね」と答え、オリョール県で審議したひじょうに興味深い判例があり、そこでは、心変わりした妻を殺した夫が無罪となって結審したと言うのだった。

 町じゅうで、若奥様たちはかしましく噂しあった。夫連中は、ヴォロビヤニノフがうまくやったと羨んでいた。菜食主義者、禁酒主義者、理想主義者たちは、匿名の手紙を検事に送りつけた。検事は、裁判所の会議中に、せわしなくすばやい動きで耳のうしろを掻きながら、そうした手紙を読んだ。彼は、ヴォロビヤニノフとは以前にまして懇意になっていた。出口のない状況だった… 早く首都へ移ることを待ち望んでいた彼には、妻の愛人を殺すという俗悪なことをやって、出世の道を損なうことはできなかった。

 しかし、イポリート・マトヴェーヴィチのほうは、まったく無遠慮な行動をみずからに許していた。自分の馬車を白く塗りかえさせると、恋で頭がぼうっとなった検事の妻を乗せて、大プーシキン通りをかけまわった。

 エレーナ・スタニスラヴォヴナは、その大理石のような顔を黒い小鳥の刺繍をほどこしたヴェールで覆っていたが、無駄なことだった。だれもが彼女を見分けてしまった。町は恐怖で震えあがったが、この愛の暴走は検事に何の動きももたらさなかった。絶望した菜食主義者、禁酒主義者、理想主義者たちが法務省本体にまで匿名文を送って悩ませた。法務省の大臣補佐官はボウル地区検事の小心ぶりに驚愕した。みなが決闘を待ち受けていた。しかし検事はこれまでどおり、武器店を通り過ぎて司法組織の建物に毎朝通い、悲しみに満ちた目で、天秤を持ったテミスの像をみつめるのだった。天秤の片方の皿に、ボウル氏ははっきりとサンクトペテルブルク検事となった自分を見ていた。そして、片方の皿には、能天気で厚かましいヴォロビヤニノフを。

 すべてはひじょうに思いがけない終わりを迎えた。イポリート・マトヴェーヴィチは検事の妻をパリへ連れ出し、検事はスィズラニへ転任となった。検事はスィズラニで長く勤め、八百人ばかりの人間を徒刑へ追いやり、そして最終的には亡くなった。

 一年たってふたりが戻ってきたとき、スタルゴロドは雪に埋もれていた。荷重の馬車が並足で大プーシキン通りを行きかっていた。アレクサンドロフスキー並木通りの氷におおわれた木々は、カラスたちに予約されてしまっていた。星や十字架やその他のメダルのかたちをした雪の結晶が、イポリート・マトヴェーヴィチの鼻先にそっと舞い降りていた。風はなかった。駅からの低いソリに乗って、イポリート・マトヴェーヴィチはぼんやりと町の名跡を眺めていた。スタルゴロドの商人たちの熱意によってアッシリア=バビロニア様式で建てられた証券取引所の新しい建物や、プーシキン地区の火の見塔があった。塔には、円筒形をした二つの大きなボンベがぶらさがっており、それはこの地区で中規模の火事があったことを示すものだった。

「ミハイラ、だれのところが燃えているんだね?」とイポリート・マトヴェーヴィチは御者にたずねた。

「バラグーロフのところです。まる二日ですよ」

 街区を二ブロックもいかないうちに、ちょっとした人の群れに行き当たった。彼らはバラグーロフの家に向かってしょんぼりと立っていた。二階の開け放された窓からゆっくりと煙が出ていた。窓のところに消防士があらわれて、だるそうに下に向かって叫んだ。

「ワーニャ! フランス製のハシゴをよこしてくれ」

 雪が降りつづいていた。下で応答する者はなかった。消防士は、窓のところにたたずんで思案していたが、あくびをすると、無関心なようすで煙のなかに消えた。

「あれではもう五日だって燃えるだろうよ」と腹立たしげにイポリート・マトヴェーヴィチは言った。「パリもな!」

 エレーナ・スタニスラヴォヴナとはごく円満に別れた。ひきつづき彼女のもとへは立ち寄って、毎月三百ルーブルを入れた封筒を渡していたし、彼女のところで若い男たちと出くわしても、腹を立てるようなことは決してなかった。男たちの多くはすばしこく、またすばらしく教養があった。

 イポリート・マトヴェーヴィチは、デニソフスカヤ通りのじぶんの邸宅に住みつづけ、身軽な独身生活を送っていた。彼はみずからの外見にひじょうに気を配り、市立劇場の公演は初回に足を運ぶということをやっていたが、あるときオペラに夢中になって、バリトン歌手のアブラモフと懇意になり、『椿姫』のジェルモンのアリア、「お前は忘れてしまった、愛するじぶんの土地を、お前は捨てた、故郷のプロヴァンスを」を、彼と一緒にやった。あるとき『リゴレット』のアリアで「女好きの廷臣たちよ、放蕩の権化たちよ、あなたがたはわたしをあざ笑ったが」という箇所の稽古に差しかかったとき、バリトン歌手は、イポリート・マトヴェーヴィチがコロラトゥーラ・ソプラノの歌手である自分の妻と同棲している、と憤然と言い放った。それに続く舞台はひどいものだった。心底の怒りにかられたバリトン歌手はヴォロビヤニノフから百六十ルーブルをもぎとると、さっさとカザンに去った。

 イポリート・マトヴェーヴィチの破廉恥な遍歴、とくに貴族会館クラブで弁護士のムルジ氏に暴行を加えたことは、彼が悪魔的な人物であるという評判をたしかなものにした。

 不安と胸騒ぎがもたらされた一九〇五年という年においても、生まれつきの楽天的性格と、ロシア政府が堅牢な礎をもっているという確信は、イポリート・マトヴェーヴィチを見捨てなかった。そのうえ、イポリート・マトヴェーヴィチの領地では、干し草の山がいくつか燃えたことを勘定に入れなければ、すべてが穏やかに過ぎていった。ポーツマス講和条約を結んだウィッテ伯爵を、イポリート・マトヴェーヴィチはいきりたって裏切り者と呼んだが、そのくせこの件について詳しく語ることはできないのだった。

 あくる年もその次の年も、イポリート・マトヴェーヴィチの生活を変えることはなかった。しばしばペテルブルクとモスクワにでかけていって、好んでロマの音楽を聴いてはペテルブルクとモスクワだとわずかな違いがあるのだと言ったり、内務省や金融機関に勤めているギムナジウムの同級生たちを訪ねてまわったりした。





▷初出:『30日』1929年、第10号
▷原文():https://ruslit.traumlibrary.net/book/ilfpetrov-ss05-01/ilfpetrov-ss05-01.html#s007001
▷翻訳:Ayako Kagotani
)Web上には誤植、脱字があるため底本となっている1961年全集を適宜参照しました。

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