短編『戸籍登録員の過去』(1929年)コメンタリー
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『戸籍登録員の過去』
1929年、雑誌『30日』第10号掲載。『十二の椅子』の連載終了後、独立した短編として発表された。掲載時、編集部によって「『十二の椅子』の未発表の章である」という注がほどこされていた。著者らはこの章を『十二の椅子』の刊行物に含めず、生前に再掲載されることもなかった。2016年に刊行された『著者版 十二の椅子※』には、本編の5章として(オスタップ・ベンデルの登場の直前に)この短編が組み込まれている。(※イリヤ・イリフの娘であるアレクサンドリア・イリフが編集し、原稿、タイプ原稿、雑誌の発表分なども含めた版)
小説の冒頭のできごとは、こうした日に起きたということを念頭におく必要がある。
マースレニツァの木曜日
マースレニツァは春を迎える民間儀礼的な行事で、一週間にわたってつづく。宗教的な精進に入る直前の一週間にあたるため、精進のあいだにできないことをやりだめておく(食いだめ、遊びだめ)期間でもあった。そうしたお祭り騒ぎ的雰囲気が頂点に達するのがマースレニッツァの木曜日で、別名「どんちゃん騒ぎの日(Разгул, Разгуляй)」「分かれ目の日(Перелом)」と呼ばれていた。小説の冒頭のできごとは、こうした日に起きたということを念頭におく必要がある。
貴族団長
貴族会(дворянское собрание)を主宰する人であり、貴族としての義務をおこたっている会員がいないかを監督する立場の人。3年にいちど開かれる貴族会の集まりで、選挙によって選ばれる。郡の貴族団長のほかに、県の貴族団長もおり、県の貴族団長はかずかずの公共事業や地方自治体をも掌握する力をもっていた。トルストイ『アンナ・カレーニナ』には、貴族団長のこみいった選挙のようすがくわしく描かれている(第6編26-31)。
デンマークの王子
シェークスピアの『ハムレット』を連想させるペンネーム。同じペンネームの人物が『十二の椅子』本編13章「息をはずませてください、興奮してるんだから!」に登場するが、同一人物かどうかは不明。王子の機転(「どもる」と「口にする」)
特別市長のことば「こういうことはもうこれ以上口にしないことをおすすめします」には、「どもる」と同じ語(заикаться)が、「なにかについてそれとなく言う」という意味で使われている。「ヴォロビヤニノフ氏の所業について記事でほのめかすのはおやめなさい」という意味のことを市長は言っていることになる。これを受け入れたくないデンマークの王子氏は、同じ言葉を今度は「どもる」の意味で使い、「わたしはいつもこういう口のききかたなので(いつもどもるので)」とはぐらかしたのだが…という話の展開になっている。
9歳で予科に入学したイポリートは、本来第8学年を17歳で終えて卒業するはずだったが、3学年で留年したため18歳で卒業したことになる。
なお、このハフーエフ・カクーエフという名前は『十二の椅子』本編の〈宝物〉という章にもチラリと登場する。
プーシキンの『金の魚』は、老いた漁師の網にかかった金の魚が人の言葉を話し、願いごとを何でもかなえるという約束と引きかえに、海へ帰してもらうところから始まる。この約束を聞いた漁師の妻が次々と願いごとをして金の魚はこれを実現させていくが、老婆の要求はしだいにエスカレートしていき、それがある日極限に達すると、魚は突然願いごとをすべて反故にして姿を消してしまう。
この金の魚の行動を「都合がわるくなると姿を消す/逃げる」ととらえると、イポリートの性格に通じるものの、やや無理がある解釈。
ギムナジウム
中等教育を行う機関。予科が1年、本科が8年あった(第8学年ができたのは1875年以降)。9歳で予科に入学したイポリートは、本来第8学年を17歳で終えて卒業するはずだったが、3学年で留年したため18歳で卒業したことになる。
ハフーエフ・カクーエフ
原文ではПыхтеев-Какуев。Пыхтеть は「あえぐ、息をはずませる」だが、原文の通りにピフテーエフとしてしまうと、この語がもつ雰囲気が日本語で出せないのでハフーエフとした。語感としてはかなり滑稽な印象を受けるが、このように姓が二つ重なる〈二重姓〉自体は、その人が由緒のある名門貴族の出であることを示している(実在の人物ではサルトゥイコフ=シチェドリン、リムスキー=コルサコフなど)。なお、このハフーエフ・カクーエフという名前は『十二の椅子』本編の〈宝物〉という章にもチラリと登場する。
『悪魔の階段』
ピラミッドの高さを求めるさいに、ピラミッドの斜面を n段の層に区切るという考えかたがあり、この考え方を図に表すと斜面が階段状に見える。この階段を悪魔の階段という。抜け目のない金の魚
プーシキンの書いた民話『金の魚(漁師と魚の民話)』を踏まえているのかどうか。プーシキンの『金の魚』は、老いた漁師の網にかかった金の魚が人の言葉を話し、願いごとを何でもかなえるという約束と引きかえに、海へ帰してもらうところから始まる。この約束を聞いた漁師の妻が次々と願いごとをして金の魚はこれを実現させていくが、老婆の要求はしだいにエスカレートしていき、それがある日極限に達すると、魚は突然願いごとをすべて反故にして姿を消してしまう。
この金の魚の行動を「都合がわるくなると姿を消す/逃げる」ととらえると、イポリートの性格に通じるものの、やや無理がある解釈。
『椿姫』のジェルモンのアリア、「お前は忘れてしまった、愛するじぶんの土地を、お前は捨てた、故郷のプロヴァンスを」
オペラ『椿姫』は、プロヴァンズの貴族アルフレードと、パリの高級娼婦ヴィオレッタの悲恋の物語。その恋は身分違いだとしてアルフレードの父親から反対される。このアリアは、アルフレードの父であるジェルモンが、恋におぼれる息子をさとし、故郷の家族のもとへ帰ってこいと呼びかける歌(第2幕)。
『戸籍登録員の過去』で、バリトン歌手のアブラモフは、妻をイポリートに取られていたわけで、そんな中でこのアリアを一緒に練習するというのは、まさに「女好きの放蕩の権化にあざ笑われ」ているような状態といえる。
『リゴレット』のアリアで「女好きの廷臣たちよ、放蕩の権化たちよ、あなたがたはわたしをあざ笑ったが」
オペラ『リゴレット』は、愛する娘を失ってしまう父親の悲劇の物語。道化のリゴレットは娘のジルダを大事に育てていたが、女好きで知られる公爵がその娘をたぶらかして連れ去ってしまう。このアリアは、娘をかえしてくれるようにと嘆願する歌(第2幕)。『戸籍登録員の過去』で、バリトン歌手のアブラモフは、妻をイポリートに取られていたわけで、そんな中でこのアリアを一緒に練習するというのは、まさに「女好きの放蕩の権化にあざ笑われ」ているような状態といえる。
不安と胸騒ぎの1905年
1月、労働者のデモ行進に軍隊が発砲して多数の死者が出た事件を発端に(血の日曜日事件)、労働者のストライキがロシア全土に広がった年。エイゼンシュテインの映画で有名なポチョムキン号の反乱もこの年に起きている。ただしこうした動きは、10月以降、政府や軍によって徐々に鎮圧されていった。前年(1904年)に勃発した日露戦争の講和会議もこの年の8月に開かれている(ロシア全権はウィッテ)。朝目覚めると、自分に向かって〈グーテン・モルゲン〉あるいは〈ボン・ジュール〉と言う習慣
イポリートのこの習慣は、『十二の椅子』の冒頭にも出てくる。
これ以降、物語は1913年の春に起きた実際の出来事をなぞっていく(ただし、微妙に事実とずれていたりもする)。1913年は帝政ロシアのロマノフ朝が成立300年を迎えた節目の年でもあった。
(1913年の出来事に関するコメンタリーの多くは、イリフ&ペトロフ研究者であるミハイル・オデースキー、ダヴィド・フェリドマン両氏による注釈を参考にした)
なお、未来派詩人のマヤコフスキーは、このころ活動の最初期だった。前年から詩の朗読を始め、1913年5月に第一詩集『ぼく』を出版。同年末からは、未来派の仲間とロシア各地をまわって興行的な朗読会を行い、多くの聴衆を魅了していくことになる。
Kuso kurae(くそくらえ)
原文は «Накося выкуси» で、これをラテン文字で綴ったことになっている。時は1913年だった
ここで物語は、作品冒頭でイポリートが新聞沙汰をおこした1913年に戻る。これ以降、物語は1913年の春に起きた実際の出来事をなぞっていく(ただし、微妙に事実とずれていたりもする)。1913年は帝政ロシアのロマノフ朝が成立300年を迎えた節目の年でもあった。
(1913年の出来事に関するコメンタリーの多くは、イリフ&ペトロフ研究者であるミハイル・オデースキー、ダヴィド・フェリドマン両氏による注釈を参考にした)
フランス人飛行士のブランデンジョン・ドゥ・ムリネ
1913年6月4日にはパリ=ペテルブルクの無着陸飛行に成功し、同年6月14日付の週刊誌『青い雑誌』にインタビューが掲載されている。ポリネシアから戻ったコンスタンチン・バリモント
1900年代に大変人気のあった象徴派の詩人。1905年以降、当局からの迫害を恐れてパリに亡命していたが、1913年、ロマノフ朝300周年の恩赦で帰国が実現した。モスクワへは1913年5月5日に到着し、〈自由美学〉協会による歓迎の催しは同年5月7日に開かれた。なお、未来派詩人のマヤコフスキーは、このころ活動の最初期だった。前年から詩の朗読を始め、1913年5月に第一詩集『ぼく』を出版。同年末からは、未来派の仲間とロシア各地をまわって興行的な朗読会を行い、多くの聴衆を魅了していくことになる。
強奪目的で彼女を殺害
1913年5月27日に実際におきた事件。ポクソン
アメリカのコメディアン、ジョン・バニー(John Bunny)のロシアでの呼び名。地方検閲官プラクシン
実在する検閲官であり、詩人・劇作家。
弟のミーチェンカ
文脈から、ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世の息子、アレクセイ皇太子(当時9歳)だろうか。だとすると、「300年続くロマノフ家」とは、1913年に300周年を迎えたロマノフ王朝、「パパ」はニコライ2世、「ママ」はアレクサンドラ皇后ということに。これ以降の記述は、ロマノフ朝300周年を祝って催された祭事の情景のようだ。
1918年に所有する家から追い出され
1917年に起きたロシア革命が進展するにつれ、旧体制時に力を持っていた人たちは土地を追われた。その持ち家は接収され、住居に困窮する人々に分配された。そうした家の接収・分配エピソードは、パステルナークの小説『ドクトル・ジヴァゴ』やブルガーコフの『犬の心臓』などにも描かれている。
14年後、まだ壮健な身でスタルゴロドに戻ってきて
『十二の椅子』の冒頭につながる記述。『十二の椅子』は1913年から14年後の1927年を舞台にしている。
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