イリフとペトロフの執筆風景|同時代の作家グリゴリー・ルィクリンの回想
1932年、雑誌「クロコジール」は10周年を迎えた。(中略)編集部は特別記念号の準備をはじめた。
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| 特別記念号(1932, No.15-16)表紙 |
その号には、その他もろもろのほかに、トルストエフスキーの時事コラムを載せることになっていた。若い読者にことわっておきたいのだが、イリフとペトロフは当時、このトルストエフスキーというペンネームをしばしば使っていた。そして、締切の日、イリフとペトロフは手ぶらで編集部に現れた。この上なく善良で愛すべき、当時の編集長ミハイル・ザハーロヴィチ・マヌイルスキーは、内心激怒していたが、表に出して怒ることができなかった。不注意なふたりを叱責する技量はなかった。
「同志よ!」彼は、イリフとペトロフに向かって言った。「いかんよ… なんてこった、いかん… わかるだろう、いかんのだよ…」
「明日は大丈夫です」とイリフが言った。
「明日の朝早くに持ってきますから」とペトロフが付け足した。
「がむしゃらに、徹夜でやります」とイリフが言った。
「飲まず食わずで、寝ずにやりますから」とペトロフが付け足した。しかし、編集長は承知せず、その声はざらついてきた。
「そこの机に座ってやってくれ」と彼は言った。「コラムが書き上がるまで、その場を離れんでくれ。いいな?」
「しかたがない、書くしかないのさ!」こう叫んだのが誰だったか私は覚えていないが、目的は達せられた。彼らは部屋の隅の小さなテーブルについて仕事にとりかかり、その間、周りの誰にもまったく注意を向けなかった。その場には、座っている者、タバコを吸う者、おしゃべりする者、騒音を立てる者がいたのだが。机に向かって腰かけたイリフが、厳かにこう言った。
「コラムの書き出しはこうだ、〈記念日を陰気にして申しわけない〉。」そうして10分ほどすると、エヴゲーニイ・ペトローヴィチ〔訳注:ペトロフ〕が、作品のテーマが垣間見える草稿をイリフに読んでいるのが耳に入ってきた!
「読者は、乗客であるときと同じくらい、注意深くないといけない。警戒していないといけない。ここに、ユーモアのゴミと風刺のクズを出す輩の文学写真(フルフェイスと横顔!、とイリフが付け足す)を出すのは、そういうわけだ」
「やつの仕事は簡単だ」とイリフが付け足す。「自前の自動機械で、どれも似たり寄ったりの時事コラムや詩やこまごましたものを、次々吐き出す」。そんなふうにして、彼らは座って仕事をつづけ、議論し合い、笑い合っていた。冷笑的なのがイリフで、熱くなるのがペトロフだった。こうした議論の中で、時事コラムはさらに磨きあげられ、風刺の前線でやっつけ仕事をする輩に対する、鋭いコラムが誕生した。
(中略)彼らは熱心に仕事をした。仕事を愛していた。自分たちのジャンルを情熱的に愛していた。しかしだからといって、雑誌の雑用を避けるようなことはしなかった。彼らは、すでによく読まれ、尊敬されている作家だったが、もし読者の手紙を編集しろと言われたら、喜んでそれをやった。十行の短文を書け? やらせてください! 二行のおかしな会話文を? 喜んで!戯画の下につける傑作な文句? こっちへもってきてください! 彼らは決して、大御所ぶらなかった。

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