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雑誌『アガニョーク』と、イリフ&ペトロフ掲載作

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▷イリフ&ペトロフの作品を掲載誌別に時系列で整理 ▼雑誌『アガニョーク(ともしび)』とは 帝政ロシア時代(1899年)、大衆向けのグラビア雑誌としてペテルブルグで創刊。 1923年からはソビエト作家同盟の機関紙としてモスクワで発行されるようになった。 週刊(1931年から1941年の開戦までは10日に1日の発行)。 『アガニョーク』1930年 No.6の表紙 初代編集長はミハイル・コリツォフ(1923〜1938年)。 コリツォフが逮捕された後、ペトロフも編集長をつとめた(1940年12月〜1942年7月)。 ソビエト末期のペレストロイカ期には、それまで発禁になっていたブルガーコフやメイエルホリドの作品を掲載した。 ソビエト崩壊後は独立誌となる。2009年、大手新聞社コメルサントに買収された。 ▼雑誌『アガニョーク』掲載のイリフ&ペトロフ作品 (末尾の№=雑誌の号数、または発行日) 1927年 『信じがたいことだが…』Невероятно, но... (№ 49)  *ペトロフ単独作、全集未収録 1928年 『フリストフォル・ザメルザクの熱狂』Увлечение Христофора Замерзаки (№ 8)  *ペトロフ単独作、全集未収録 『31点』Тридцать одно очко(№ 10)  *ペトロフ単独作、全集未収録 『高潔な人』 Светлая личность (№ 28—39) 1929年 『アヴクセンチイ・フィロソプロ』Авксентий Филосопуло (№ 44) 1930年 『放蕩息子の帰還』Блудный сын возвращается домой (№ 2)  *イリフ単独作、全集未収録 『機械の横行』Разгул техники (4月10日号)  *全集未収録 『愉快な冒険』Приятные исключения (№ 11)  *ペトロフ単独作、全集未収録 『アーティストの気まぐれ』Каприз артиста (№ 12)  *全集未収録 『щに付け足し』Довесок к букве «Щ» (№ 16) 『我らロビンソン』 Мы робинзоны (№ 16) 『旅する個人農家』Турист-единоличник (№ ...

雑誌『チュダーク』と、イリフ&ペトロフ掲載作

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▷イリフ&ペトロフの作品を掲載誌別に時系列で整理 ▼雑誌『チュダーク(変人)』とは 1928年12月から1930年2月まで発行されていたユーモア風刺雑誌。週刊。 『チュダーク』1929年1月 № 3の表紙 イリフ、ペトロフは1928年11月以降、雑誌の創刊から『チュダーク(変人)』誌にかかわり、編集部の一員として働きながら、誌上に多くの作品を発表した。 新聞社『グドーク(汽笛)』が発行していた『スメーハチ(コメディアン)』の後継誌にあたる。 1930年、編集長のコリツォフの方針が「反ソビエト的」として当局に目をつけられたことがきっかけとなり、『クロコジール(鰐)』誌に合併する形で廃刊となった。 ▼雑誌『チュダーク』掲載のイリフ&ペトロフ作品 (末尾の№=雑誌の号数) 1928年 『コロコラムスク市の尋常ならざる話』 Необыкновенные истории из жизни города Колоколамска (№ 1) 1929年 『コロコラムスク市の尋常ならざる話』 Необыкновенные истории из жизни города Колоколамска (№ 2—10, 45) 『ニュルンベルクの歌の達人』Нюрнбергские мастера пения (№ 7)  *ペトロフ単独作 『ひび割れた石碑』 Разбитая скрижаль (№ 9)  *イリフ単独作 『谷間』 Долина (№ 11)  *ペトロフ単独作 『春のなりゆき』 Как делается весна (№ 12)  *イリフ単独作 『千一日、あるいは新シェヘラザード』1001 день, или Новая Шахерезада (№ 12—22) 『オデッサへの旅』 Путешествие в Одессу (№ 13)  *イリフ単独作 『メジュラブポム・フィルムの小鳥』Пташечка из Межрабпомфильма (№ 14) 『あなたの名字は?…』Ваша фамилия?... (№ 16) 『若きご婦人がた』 Молодые дамы (№ 21)  *イリフ単独作 『ダビデとゴリアテ』Давид и Голиаф (№ 23)  *ペト...

リュドミラ・サラスキナによるイリフ&ペトロフ批評

▷リュドミラ・サラスキナによる論考「プロレタリア独裁の元で風刺が立ち向かうのは…」の内容整理 ▷イリフ&ペトロフの『十二の椅子』『黄金の仔牛』等の作品を、ドストエフスキーとの関連で批判 初出・所収 「プロレタリア独裁の元で風刺が立ち向かうのは…」は、はじめ、「トルストエフスキー対ドストエフスキー」というタイトルで1992年のオクチャブリ誌3号に掲載され、のち、2006年に『和音と引力のドストエフスキー』という論集の一部として再録された。1992年の初稿、2006年再録の論考に大きな内容の違いはない。(本記事は2006年のものを元にまとめた) 原題 Сараскина Л. И. “При диктатуре пролетариата сатира ополчается….”// Достоевский в созвучиях и притяжениях. М.:Русский путь. 2006. С. 483-509 ( 書誌情報 ) 著者 リュドミラ・サラスキナは著名なドストエフスキー研究者で、日本語で読める著述に以下のようなものがある。 郡伸哉訳「アイスランドのスタヴローギン--『悪霊』への一視角」『現代思想』 38巻4号、2010年、309-319頁 杉里直人訳「目的としてのドストエフスキー」『現代思想』 38巻4号、2010年、234-235頁 亀山郁夫・リュドミラ・サラスキナ『ドストエフスキー『悪霊』の衝撃』光文社新書、2001年 田中沙季訳 「新しい旋毛虫のようなものが現れて…」『現代思想』 49巻14号、2021年、112-114頁 上の光文社新書で、彼女は『悪霊』研究の第一人者と紹介されている。 論考の要旨 1920年代から1930年代にかけてのソビエト最初期、風刺文学は体制側の文学であった。したがって、体制を風刺(批判)するのではなく、体制の敵や旧体制を風刺(批判)することが求められた。 イリフ&ペトロフはそうした官製風刺に忠実だった作家であり、また忠実であることで成功した。 『十二の椅子』や『黄金の仔牛』にも、体制側に立ち、旧体制の人間を笑う風刺がみられる。 一方、1920年代〜1930年代は、ドストエフスキーの作品が『悪霊』を中心に批判の対象となっていた時代でもあり、また、ドストエフスキーが妻に宛てた赤裸々な手紙がはじめて公となった時代でも...