イリフとペトロフの執筆風景|同時代の作家グリゴリー・ルィクリンの回想
▷ Г. Рыклин. Эпизоды разных лет //Г. Мунблит. А. Раскин. Воспоминания об Ильфе и Петрове. М.: Советский писатель. 1963. から一部を抜粋して訳出 _______ 1932年、雑誌「クロコジール」は10周年を迎えた。(中略)編集部は特別記念号の準備をはじめた。 特別記念号(1932, No.15-16)表紙 その号には、その他もろもろのほかに、トルストエフスキーの時事コラムを載せることになっていた。若い読者にことわっておきたいのだが、イリフとペトロフは当時、このトルストエフスキーというペンネームをしばしば使っていた。そして、締切の日、イリフとペトロフは手ぶらで編集部に現れた。この上なく善良で愛すべき、当時の編集長ミハイル・ザハーロヴィチ・マヌイルスキーは、内心激怒していたが、表に出して怒ることができなかった。不注意なふたりを叱責する技量はなかった。 「同志よ!」彼は、イリフとペトロフに向かって言った。「いかんよ… なんてこった、いかん… わかるだろう、いかんのだよ…」 「明日は大丈夫です」とイリフが言った。 「明日の朝早くに持ってきますから」とペトロフが付け足した。 「がむしゃらに、徹夜でやります」とイリフが言った。 「飲まず食わずで、寝ずにやりますから」とペトロフが付け足した。しかし、編集長は承知せず、その声はざらついてきた。 「そこの机に座ってやってくれ」と彼は言った。「コラムが書き上がるまで、その場を離れんでくれ。いいな?」 「しかたがない、書くしかないのさ!」こう叫んだのが誰だったか私は覚えていないが、目的は達せられた。彼らは部屋の隅の小さなテーブルについて仕事にとりかかり、その間、周りの誰にもまったく注意を向けなかった。その場には、座っている者、タバコを吸う者、おしゃべりする者、騒音を立てる者がいたのだが。机に向かって腰かけたイリフが、厳かにこう言った。 「コラムの書き出しはこうだ、〈記念日を陰気にして申しわけない〉。」そうして10分ほどすると、エヴゲーニイ・ペトローヴィチ 〔訳注:ペトロフ〕 が、作品のテーマが垣間見える草稿をイリフに読んでいるのが耳に入ってきた! 「読者は、乗客であるときと同じくらい、注意深くないといけない。警戒していな...