投稿

9月, 2022の投稿を表示しています

イリヤ・エレンブルグによる回想『諷刺作家イリフ、ペトロフ』

イメージ
▷エレンブルグ『わが回想 人間・歳月・生活 4』木村浩、朝日新聞社、1965年、18〜27頁からの抜粋。 イリヤ・エレンブルグ(1891-1967) ▷イリヤ・エレンブルグによる回想録『人間・歳月・生活』は、1960年からリベラル派の雑誌『ノーヴィ・ミール』に掲載された。下記の部分は1962年掲載分。 ▷抜粋部分は、1963年出版の同時代人らによる回顧録『イリフとペトロフの思い出』にも再録されている。 ▷イニシャルのロシア語読みは馴染みが薄いと思われるため、アルファベットに変更(イー・アー・イリフ→I・A・イリフなど)。 ▷〔〕内はブログ注。 _______ 諷刺作家イリフ・ペトロフ  I・A・イリフ、E・P・ペトロフの二人とは一九三三年モスクワで知合ったが、彼らと親密になったのはその一年後、彼らがパリにやってきた時だった 〔エレンブルグ43歳、イリフ36歳、ペトロフ31歳〕 。当時は、わが国の作家たちが海外旅行する場合、よく不測の椿事がおこったものであった。イタリアまでイリフとペトロフはソヴィエトの軍艦に便乗して辿り着き、また同じ軍艦で帰国するつもりでいたのが、予定を変更し『十二の椅子』の翻訳に対する印税をもらうことをあてこんで、ウィーンへ出かけていった。やっとのことで翻訳者からいくらかの金を取りたてると、彼らはパリに向った。  私の知合いに、ある泡沫的な映画会社で働いていたロシア系の婦人がおり、とても人の良い女性であった。私が、イリフとペトロフ以上に喜劇映画の立派なシナリオを書ける人物はいないといってその婦人を説き伏せたおかげで、二人は前金をもらうことが出来た。  私が早速、宝くじで当てた炭坑夫とパン屋の話 〔実際に宝くじで五百万フランずつ当てた人たちで、当時のフランスの新聞をにぎわせていた〕 を彼らに伝授してやったことはいうまでもない。二人は毎日のようにたずねるのだった−−「例の百万長者氏たちの件で、新聞に何かニュースは載ってませんか?」。そして話がシナリオのことに及ぶや、ペトロフはいった−−「書出しは出来てますとも。ある貧乏な男が五百万という大金を当てて…」  二人はホテルに閉じこもって精出して書き、晩方になると「クーポル」へやってきた。このバーで私たちはいろいろと喜劇的シチュエイションを考え出した。二人のシナリオ作者の他に、サーヴィチ、画家アリトマン、ポー...

イリフ&ペトロフの転換点、1932年4月に起きたこと

イメージ
▷イリフとペトロフの作品を掲載媒体別に時系列で並べると、明らかに1932年4月の前後で活躍の場が変わっていることがわかる。 代表作の『十二の椅子』(1928年)と『黄金の仔牛』(1931年)は、文学的キャリアの前半に書かれているが、文学的な転換点はそれより後の1932年4月にある。それ以降、権威のある媒体での仕事が増えているからだ。 掲載媒体に注目してまとめると、こうなる。 _______ 『十二の椅子』を発表(1928年)  ↓ ユーモア雑誌〈チュダーク〉に作品を発表しはじめる グラビア雑誌〈アガニョーク〉に作品を発表しはじめる  ↓ 『黄金の仔牛』を発表(1931年)  ↓ 〈ソビエト芸術〉に作品を発表しはじめる  ↓ 1932年4月:転換点  ↓ ユーモア雑誌〈クロコジール〉に作品を発表しはじめる *プラウダが発行元 新聞〈文学新聞〉に作品を発表しはじめる *ソビエト作家協会の機関新聞 新聞〈プラウダ〉に作品を発表しはじめる *プラウダが発行元  ↓ プラウダの特派員としてアメリカを旅行(1935年〜1936年)  ↓ アメリカ旅行の写真と紀行文を〈アガニョーク〉〈ズナーミャ〉に発表(1936年) *ズナーミャは当時ソビエト作家協会の機関紙 _______ 1932年4月以降、如実に、権威ある媒体(共産党紙プラウダや、ソビエト作家協会が発行する媒体)に寄稿するようになっている。 では、1932年4月にいったい何が起きたのかというと、それは当時の文壇を牛耳っていた ラップ(ロシア・プロレタリア作家協会) の解散。ラップは当時存在した文学団体のひとつにすぎないが、その一方で、党の文芸政策に多大な影響力を持つ、文壇の支配的団体だったようだ。当時、他派の作家に対し厳しく批判するなど攻撃的にふるまっていたらしい。イリフとペトロフに対しては、彼らは黙殺するという態度をとっていた。歴史学者ルリエの『恐れを知らぬ馬鹿者どもの国で』という本には、「ラップが解散するまで、イリフとペトロフには(文学的な)生存権が与えられていなかった」という趣旨のことが書かれている。 _______ ラップという重荷が取り払われた1932年4月を境として、イリフとペトロフは活躍の場を広げていくわけだが、もうひとつ興味ぶかいのは、「ラップによって文壇から黙殺されていたキャリアの前半期にも、彼らはコンス...