イリヤ・エレンブルグによる回想『諷刺作家イリフ、ペトロフ』
▷エレンブルグ『わが回想 人間・歳月・生活 4』木村浩、朝日新聞社、1965年、18〜27頁からの抜粋。 イリヤ・エレンブルグ(1891-1967) ▷イリヤ・エレンブルグによる回想録『人間・歳月・生活』は、1960年からリベラル派の雑誌『ノーヴィ・ミール』に掲載された。下記の部分は1962年掲載分。 ▷抜粋部分は、1963年出版の同時代人らによる回顧録『イリフとペトロフの思い出』にも再録されている。 ▷イニシャルのロシア語読みは馴染みが薄いと思われるため、アルファベットに変更(イー・アー・イリフ→I・A・イリフなど)。 ▷〔〕内はブログ注。 _______ 諷刺作家イリフ・ペトロフ I・A・イリフ、E・P・ペトロフの二人とは一九三三年モスクワで知合ったが、彼らと親密になったのはその一年後、彼らがパリにやってきた時だった 〔エレンブルグ43歳、イリフ36歳、ペトロフ31歳〕 。当時は、わが国の作家たちが海外旅行する場合、よく不測の椿事がおこったものであった。イタリアまでイリフとペトロフはソヴィエトの軍艦に便乗して辿り着き、また同じ軍艦で帰国するつもりでいたのが、予定を変更し『十二の椅子』の翻訳に対する印税をもらうことをあてこんで、ウィーンへ出かけていった。やっとのことで翻訳者からいくらかの金を取りたてると、彼らはパリに向った。 私の知合いに、ある泡沫的な映画会社で働いていたロシア系の婦人がおり、とても人の良い女性であった。私が、イリフとペトロフ以上に喜劇映画の立派なシナリオを書ける人物はいないといってその婦人を説き伏せたおかげで、二人は前金をもらうことが出来た。 私が早速、宝くじで当てた炭坑夫とパン屋の話 〔実際に宝くじで五百万フランずつ当てた人たちで、当時のフランスの新聞をにぎわせていた〕 を彼らに伝授してやったことはいうまでもない。二人は毎日のようにたずねるのだった−−「例の百万長者氏たちの件で、新聞に何かニュースは載ってませんか?」。そして話がシナリオのことに及ぶや、ペトロフはいった−−「書出しは出来てますとも。ある貧乏な男が五百万という大金を当てて…」 二人はホテルに閉じこもって精出して書き、晩方になると「クーポル」へやってきた。このバーで私たちはいろいろと喜劇的シチュエイションを考え出した。二人のシナリオ作者の他に、サーヴィチ、画家アリトマン、ポー...