上田進『黄金の仔牛』訳書あとがき(1940年)
イリフ=ペトロフの第一作『十二の椅子』は、数年まえにわが国にも翻訳されて、一部の識者のあいだでは非常に高く買われた。たとえば林達夫氏は『思想の運命』のなかの『諷刺小説の三つの形態』で、こんな風に書いている。
「…世界戦争以後、世界文学は一体幾らの諷刺的傑作によって豊富にされたのであろうか。私の見るところでは、チェコ・スロバキアの作家ヤロスラフ・ハシェークの『勇敢なる兵卒シュベイクの冒険』を先ず第一位とすれば、二流品ながらこの『十二の椅子』がその次位に据わるべき現代的作品といわれなければならぬように思われる。」
また林氏はこんなこともいっている。
「これはソビエト文学で初めて公開された、この国の否定的現実の万華鏡である。そしてこの万華鏡は従来の諷刺小説にない一つの新しさを示しているものである。」…「この『十二の椅子』の余裕綽綽たる、明るくて、快活な、『上からの諷刺』——それは全く新しい一つの諷刺的様式の少くとも萌芽を示すものということができよう。」
その『十二の椅子』の出現は、ソビエト連邦においても、たしかに一つの驚異であったにちがいない。そしてそれはソビエト文学に新しい分野をひらいたものとして非常に問題にされ、また非常に歓迎されたものである。
ここに訳出した『黄金の仔牛』は、そのイリフ=ペトロフの第二作である。モスクワで一九三三年に出版されたものだ。第一次の五ヶ年計画にともなって、ソビエト文学の波が画期的な高まりを見せ、ショーロホフの『静かなドン』と『ひらかれた処女地』、パンフョーロフの『ブルスキー』、アレクセイ・トルストイの『ピョートル一世』、グラトコフの『エネルギー』、レオーノフの『スクタレフスキイ教授』、シャギニャンの『中央水力発電所』、ノヴィコフ・プリボイの『ツシマ』等の傑作が輩出した時代に出たもので、いうまでもなくそれらの傑作と肩をならべて、その時代のソビエト文学の代表的な作品の一つと見なされている。
この『黄金の仔牛』であつかわれているのは、新経済政策(ネップ)から社会主義建設へうつってゆく時代である。その時代のソビエトの社会の間隙にもぐりこんでいた古い世界の残渣をあばきだし、それを笑いとばしてしまおうとするのが、この作のモチーフである。そこに、この小説の特異性もあるわけである。
これまでの諷刺文学は大体において「下からの諷刺」ばかりであった。つまりおさえつけられている者が、おさえつけている者にたいする批判の文学であった。だからそれらの場合には、笑いのかげにきっと涙があり、憤りがあった。ゴーゴリにしても、シチェドリンにしても、みんなそうである。ところが、この『黄金の仔牛』になると違う。これは勝利者が敗北者にあびせかけた諷刺である。だから、その笑いのかげには涙はない。憤りのかわりに侮蔑があるだけである。笑いは、あくまでも明るい、底ぬけの笑いである。こういう笑いの文学は、世界文学史上でもユニークなものだといえると思う。
作者はイリヤ・イリフと、エヴゲーニイ・ペトロフの二人。『十二の椅子』も、『黄金の仔牛』も、ともにこの二人の共同製作になっているのである。
ところで、この二人は、『黄金の仔牛』の冒頭へもっていって、ちょっと人を食った序文を書いている。左にそれを御紹介しておこう。——
ぼくらの共同製作にたいして、よくみんなが、「あなたがたは二人で、どうやってお書きになるんですか?」という、至極もっともな、けれどすこぶるきまりきった質問をだす。
それにたいしてぼくらは初めは正直に、微に入り細をうがって答えたものだ。『十二の椅子』の主人公オスタップ・ベンデルを殺してしまうか、生かしておくかという問題で、二人で大論争をやったようなことまで話した。そして、その主人公の運命は、くじ引きで決められたことまで語るのを忘れなかった。砂糖壺のなかへ紙片を二枚入れた。一枚には髑髏を描き、一枚には鶏の骨を描いておいた。ひいてみると、髑髏の方が出てきた。そこで、それから三十分後にはもうわれらの大親分は、この世から姿を消してしまったのである。
そのうちに、ぼくらはもうだんだんに、そんなに詳しく答えないことにしていった。二人の論争の話なぞもしなくなった。それから、詳しい説明は全然御免蒙ることにした。そして最後には、ただ簡単にこう答えるだけにした。
—— ぼくらが二人で、どうやって書くか、というんですか?そうですね、まあ、ゴンクール兄弟と同じやり方ですね。エドモンドが出版社をかけまわる、ジュールが原稿を他人に盗まれないように見張っている、といった調子ですね。
だが、突然こんどは、そのきまりきった質問がひっこむ。
—— 一つお聞きしたいんですが。—— イギリスよりも少しおくれて、だがドイツよりはちょっと早く、ソビエト政府を承認したある国の一人の厳格な紳士が、ぼくらに質問を出したものだ。—— なぜあなたがたは滑稽なものを書いているんです?この再建期にあたって、滑稽とは何ですか?あなたがたは気が狂ったんじゃないですか?
そう言ったあとで、彼は、今日のような時代にあっては、笑いは有害であるということを、くどくどとぼくらに説いてきかせた。
—— げらげら笑ったりするのは間違っています!—— 彼はいった。そうです、笑うことなんかできません。微笑することさえできないのです。私はこの新しい生活、この社会の変動を見て、微笑するどころか、むしろ祈りをささげたくなったのです!
—— でも、ぼくらはただげらげら笑ってるだけじゃないんですよ。—— ぼくらは反対した。—— ぼくらの目的は諷刺にあるんです。この今日の再建期なるものを理解することができないような人たちを諷刺しようとするんです。
—— しかし、諷刺は滑稽であってはなりません。—— 厳格な紳士はいった。そして、彼が百パーセントのプロレタリアだと認めたバプチストの手工業労働者の腕をかかえて、自分の宿へつれていった。
そこで彼は、陰気な言葉をならべて、『寄生虫は生かしておけない』というような題で、堂々六巻にもわたる大長編を書かせるのである。
そこに語られていることはすべて、作りごとではない。だが、作りごとの方がもっと面白くなるかもしれないのだ。
まあそんな紳士には、好きにさせておこう。彼は男に婦人用のヴェールをかぶせたり、自分は朝からラッパで、賛美歌や聖歌を吹奏したりしているであろう。そしてそれで社会主義の建設を助けていると思っているのであろう。
ぼくらがこの『黄金の仔牛』をかいているあいだじゅう、そういった厳格な紳士の歌の声が、ぼくらの上にあびせかけられていた。
—— ある章が、思いがけなく滑稽なものになったら、どうするんだ?あの厳格な紳士は何というだろう?
そこで結局、ぼくらは次のようなことを決めた。
(一)この長篇は、できるだけ面白く書くこと。
(二)もしあの紳士がまた、諷刺は滑稽であってはならないなぞといったら、ぼくらは連邦検事クルイレンコに告訴して、上記の紳士を、頑迷固陋を押し売りするものとして、刑法の条文に照らして処罰してもらうこと。
二人の共同製作の実際的方法については、この序文では言及されていないけれど、ぼくの聞いたところでは、ジャーナリスト出身のペトロフがもっぱら材料の蒐集にあたり、その集められた材料を詩人であるイリフが整理し、物語に書きあげるという方法をとっているのだそうである。こういった製作方法なぞも、やはり一つの問題を提供すると思う。
ところが、三四年まえに、この二人のうちどっちか一人が、たしか死んだはずである。だれかにそんな話を聞いたような気がする。実をいうと、この四五年来、ソビエトの新聞雑誌が全然手に入らないので、はっきりしたことがいえないのである。が、それが事実であるとすれば、ぼくらはもうイリフ=ペトロフの合作になる小説は、この『黄金の仔牛』を最後として、読めないことになるわけである。
『黄金の仔牛』という題名をちょっと説明しておこう。これは旧約聖書に出てくるもので、ヨーロッパ人ならば常識になっているようなものだと思うが、ぼくら日本人にはいささか縁が遠いので、敢てこんな説明をつけるわけだ。
旧約の「出エジプト記」を見ると、エホバの神がイスラエルの民をエジプトから導き出して、蜜と乳の流れるカナンの地へつれてゆく途中、シナイ山でモーセを山上に召して律法(おきて)をつたえる。そのときイスラエルの民が山の下で待っている。
「ここに民モーセが山を下ることの遅きを見民集りてアロンの許に至り之に言けるは起よ汝われらを導く神を我等のために作れ其は我らをエジプトの国より導き上りし彼のモーセ其人は如何になりしか知ざればなり、アロンかれらに言けるは汝等の妻と息子息女等の耳にある金の環をとりはずして我に持きたれと、是において民みなその耳にある金の環をとりはずしてアロンの許に持来たりければ、アロンこれを彼等の手より取り鑿をもて之が形を造りて犢(こうし)を鋳なしたるに人々言うイスラエルよ是は汝をエジプトの国より導きのぼりし汝の神なりと…
エホバ、モーセに言いたまいけるは汝往て下れよ汝がエジプトの地より導き出せし汝の民は悪き事を行うなり、彼等は早くも我が彼等に命ぜし道を離れ己のために犢を鋳なしてそれを拝み其に犠牲(いけにえ)を捧げて言うイスラエルよ是は汝をエジプトの地より導きのぼりし汝の神なりと…」(第三二章)
そこでエホバの神は「かくの如くおのが栄光をかえて草をくらう牛のかたちに似す」(詩篇一〇六)といって、非常に怒るのである。つまり、この黄金の仔牛というのは正しい道からはなれて、まちがった偶像を拝むことを暗示しているのだ。
ついでに「黄金の仔牛」という文字であるが、聖書から引いたものであるから「金の犢」とすべきであろうが、ぼく年来の主義として「犢」なぞというようなむずかしい文字は使いたくないので、わざと「仔牛」とした。それから、「金」という字は「カネ」とも読めれば「キン」とも読めるあいまいな字なので、「黄金」としたのである。この題名だけではなく、全篇にわたって、そういった心づかいをしておいたつもりである。
もう一つ、これは余計な説明かもしれないが、出てくる人物の名前がみんな相当ふざけたものである。例えば、パニコフスキイ(恐慌=パニック)、プチブルドゥコフ(プチ・ブル)、インドキタイスキイ(印度支那)、ポツェルエフ(接吻)といった調子だ。そのつもりで読んでください。
ぼくはこの三四年、妻の死や自分の病気で、ほとんど仕事らしい仕事をしなかったが、こんど久しぶりで根かぎりの仕事をすることができた。いまはこの仕事がおわったばかりで、気がぬけたようになっているが、しかしこれを機会に少しは立ちなおりたいと思っている。
このような小説を、いまわが国で出すことにどんな意義があるかということは、ぼくはここでことごとしく述べ立てることをひかえる。ただ、ぼくは今日の日本の世相は、まさに諷刺文学的世相であると考えている。それとこれとを考え合わせるとき、そこに非常に興味のある問題がおきてこなければならないはずだ、ということだけを言っておきたい。
▷『黄金の仔牛』上田進訳、現代世界文学叢書1(中央公論社、1940年)所収
▷上田進は1907年生まれ、1947年没。
▷旧仮名遣いはサイト管理者が現代の仮名遣いに改めた。
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