上田進『黄金の仔牛』訳書あとがき(1940年)
▷日本大ロマン全集17(東京創元社、1958年)所収の「あとがき」は、1940年に書かれた「あとがき」の抜粋編集版となっています。すでに著作権も切れていますので、ここに本来の「あとがき」全文を掲載します。 _______ イリフ=ペトロフの第一作『十二の椅子』は、数年まえにわが国にも翻訳されて、一部の識者のあいだでは非常に高く買われた。たとえば林達夫氏は『思想の運命』のなかの『諷刺小説の三つの形態』で、こんな風に書いている。 「…世界戦争以後、世界文学は一体幾らの諷刺的傑作によって豊富にされたのであろうか。私の見るところでは、チェコ・スロバキアの作家ヤロスラフ・ハシェークの『勇敢なる兵卒シュベイクの冒険』を先ず第一位とすれば、二流品ながらこの『十二の椅子』がその次位に据わるべき現代的作品といわれなければならぬように思われる。」 また林氏はこんなこともいっている。 「これはソビエト文学で初めて公開された、この国の否定的現実の万華鏡である。そしてこの万華鏡は従来の諷刺小説にない一つの新しさを示しているものである。」…「この『十二の椅子』の余裕綽綽たる、明るくて、快活な、『上からの諷刺』——それは全く新しい一つの諷刺的様式の少くとも萌芽を示すものということができよう。」 その『十二の椅子』の出現は、ソビエト連邦においても、たしかに一つの驚異であったにちがいない。そしてそれはソビエト文学に新しい分野をひらいたものとして非常に問題にされ、また非常に歓迎されたものである。 ここに訳出した『黄金の仔牛』は、そのイリフ=ペトロフの第二作である。モスクワで一九三三年に出版されたものだ。第一次の五ヶ年計画にともなって、ソビエト文学の波が画期的な高まりを見せ、ショーロホフの『静かなドン』と『ひらかれた処女地』、パンフョーロフの『ブルスキー』、アレクセイ・トルストイの『ピョートル一世』、グラトコフの『エネルギー』、レオーノフの『スクタレフスキイ教授』、シャギニャンの『中央水力発電所』、ノヴィコフ・プリボイの『ツシマ』等の傑作が輩出した時代に出たもので、いうまでもなくそれらの傑作と肩をならべて、その時代のソビエト文学の代表的な作品の一つと見なされている。 この『黄金の仔牛』であつかわれているのは、新経済政策(ネップ)から社会主義建設へうつってゆく時代である。その時代のソビエトの社...