コラム『オデッサへの旅』(1929年)全訳
▷2023年1月25日、オデッサ歴史地区のユネスコ世界遺産登録が決定! ▷ 緑字 は末尾に注あり。 _______ オデッサへの旅 記念像と人、裁判 ヴォログダやリャザンからの旅行者がオデッサへ行き着くには、いくつかの方法がある。 可能なのは徒歩で出発することである。『全ての人に識字教育を』とスローガンを書いた樽を前に転がしながら行く。この方法は何より若者に好まれ、費やす時間は半年以下である。 同じくリャザンからオデッサへは自転車に乗っていくことも可能だ。このためには、国航科協主催の第三回全ソビエト宝くじを手に入れ、自転車の当たりを待たなくてはならない。これには通算一年ほどかかる。 もしも宝くじで綿入りのジャケットか電気ランプが当たったなら、オデッサへは汽車に乗っていくべきである。ランプは携行し、夜ごとそれをふいに光らせて、鉄道の車掌たちを驚かしてやればよい。 好奇心旺盛の旅行者に、オデッサは観察に足る妙味を提供するだろう。 オデッサは記念像の人口密度が最も高い都市のひとつである。 革命まではたった四つの記念像が生息していたのみであった。 リシュリュー公 、 ヴォロンツォフ 、 プーシキン 、そして エカチェリーナ二世 である。のちにその数はさらに減った。というのは、ブロンズ製の専制女君主が取り除かれたからだ。歴史と古代美術館の地下室には、現在に到るまで彼女の残された部分が転がっている。頭とスカート、そして、そのふくよかさが、まれに訪れる者を興奮させる胸部だ。 ところが今や、オデッサにある彫刻像は三百を下らない。庭園、辻公園、並木道、十字路には今、大理石の乙女たちや青銅のライオン、ニンフ、横笛を吹く牧人、骨壺、御影石でできた子豚がそびえ立っている。 そうした記念像が二、三十もひしめいている広場がある。大理石の像が林立するなかに、二本のアカシアが見捨てられたように生えている。 これらの像の胴体は石灰で落書きされ、とくにくっきりと目立つのは、「ヤーシャのバカ」という同じ文句である。大理石の乙女の背中にもヤーシャのことが書かれている。ライオンと子豚は郊外の別荘から街へ運ばれてきた。ニンフと骨壺に関していえば、どちらも墓地から拝借してきたという点で似ている。どうあれ、その庭園と墓地の彫刻像はとても滑稽にオデッサを飾っている。記念像のほかに、人々も街に住ん...