ペトロフが語るイリフの思い出|回想録『イリフの思い出より』(1939年)訳 3/4
(最初から読む) (2に戻る) 3 いったいどんなふうにして、イリフとわたしはいっしょに書くようになったのか? それを偶然と呼ぶと、あまりにも単純化していることになる。イリフはもういないので、共同執筆をはじめたときに彼が何を考えていたか、わたしには知るよしもない。わたしのほうは、彼との関係性を通じて、イリフにつよい尊敬の念をいだくようになっていたし、ときには感激することすらあった。わたしは彼より五歳若かったし、彼が非常にはにかみ屋で、寡作で、書いたものを見せるようなことがなかったにもかかわらず、わたしのほうでは、彼が自分の師匠だと認めるつもりでいた。彼の文学趣味は当時のわたしには非の打ちどころがなく思われたし、その大胆なものの考えかたがわたしを有頂天にさせた。ただし、わたしたちにはもう一人師匠がいた、いわば職業上の師匠だ。それはわたしの兄、ワレンチン・カターエフだった。彼も当時『グドーク(汽笛)』で時事風刺コラムニストとして働いていて、老サバーキンというペンネームをつかっていた。この仕事で彼はよく第四面の部屋にやってきていた。ある日、彼はそこへこう言いながら入ってきた。 「おれはソビエトの大デュマになるぞ」 この大それた宣言は、この部署の中ではたいした熱狂を呼びおこさなかった。それにこんな宣言をしながら第四面の部屋に入ってくる人はいなかったのだ。 「いったいどうした、ワリューン 〔ワレンチンの愛称〕 、どうして突然デュマ・ペールになりたくなった?」とイリフが聞いた。 「なぜって、イリューシャ 〔イリヤ(=イリフ)の愛称〕 、もう長いことソビエトの小説には名作の穴が空いてるからさ」と老サバーキンは答えた。「おれが大デュマになるから、きみたちがおれのゴーストライターをやるんだね。おれがテーマを出すから、きみらが小説を書いて、それをあとでおれが直すことにしよう。二度ばかりきみらの原稿に巨匠が手を入れれば、それでできあがりさ。デュマ・ペールのようにね。どうだい? やりたい奴はいるか? ただ覚えといてくれ、おれはきみたちをこき使うつもりだ」 わたしたちはそれからまだしばらく、老サバーキンが大デュマになり、わたしたちがそのゴーストライターをやるという話題でふざけあった。その後、わたしたちはまじめに話しだした。 「すばらしいアイデアがあるのさ」とカターエフは言った。「椅子だ...